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【千葉】

漕艇会場の手賀沼誘致に協力 幻の東京五輪で嘉納治五郎 様子示す手紙、我孫子で展示中

平賀平作が井上武に宛てた手紙。我孫子町役場の便せんにしたためられている

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 アジア人で初めて国際オリンピック委員会(IOC)委員を務め、現在の我孫子市内に別荘を構えた柔道家の嘉納治五郎(一八六〇〜一九三八年)が、未開催に終わった一九四〇年の東京五輪で、漕艇会場を手賀沼に誘致する運動に協力していたことを示す手紙が、地元の旧家から見つかり、市杉村楚人冠記念館で展示されている。 (堀場達) 

 江戸時代に名主を世襲した有力者が住み、市指定文化財の「旧井上家住宅」で、市教育委員会が資料調査を進めていたところ、漕艇(そうてい)会場誘致の様子をつづった三通の手紙が残されていたという。

 嘉納が登場するのは、井上家の跡取りで、東京帝国大学の漕艇部OBの井上武へ、当時の我孫子町助役・平賀平作が宛てた一九三七(昭和十二)年五月十三日付の一通。平賀は「本日嘉納先生より電話有」と、誘致を巡る嘉納からの電話で、町長の染谷正治が急きょ上京することになったとして、井上に同伴を促している。

 「御都合御繰り合せ午前七時三十八分布佐駅発にて御上京御願ひ申度右御願申上候」。十四日朝の時刻を指定して、布佐駅で列車に乗るよう井上に依頼し、隣の湖北駅で、染谷が合流すると伝えている。

 これに先立つ同年一月十二日、染谷が井上に宛てた一通は「何分にも近距離ニ於て戸田、鶴見の如き強敵も有之」と、戸田(埼玉県)、鶴見(神奈川県)を五輪漕艇会場の対抗有力候補に挙げている。戸田は、六四年の東京五輪で、漕艇会場となった。

 一方、同年三月十五日、井上が漕艇部後輩の砂原宜雄に宛てた一通からは、手賀沼を会場にした場合は、ほかより費用が安く済むメリットを大会組織委員会に訴える誘致運動の構図が読み取れる。四〇年の東京五輪は日中戦争の激化に伴い、嘉納の死から約二カ月後、大日本帝国政府が開催返上を決定した。

 手紙は、来年の東京五輪・パラリンピックを控え、我孫子と五輪の関係を知ってもらおうと、企画展「嘉納治五郎と手賀沼〜幻の東京オリンピックをめぐって」で、八十年前の新聞記事などとともに紹介されている。十月六日まで。月曜休館。入館料は一般三百円。問い合わせは同館=電04(7182)8578=へ。 

手賀沼の近くに別荘を構えていた嘉納治五郎(公益財団法人講道館提供)

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