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【千葉】

洲埼灯台 船照らし100年 関東大震災、太平洋戦争乗り越え

初点灯から100年を迎える洲埼灯台=いずれも館山市洲崎で

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 東京湾を行き交う船を照らし続けて百周年−。館山市洲崎(すのさき)の丘に立つ洲埼(すのさき)灯台が今年十二月、初点灯から節目の年を迎える。関東大震災や太平洋戦争などの荒波を乗り越え、近年ではプロモーションビデオのロケ地になることも。白亜の美観は今も地元のシンボルとなっている。 (山田雄一郎)

 館山市中心部から、房総フラワーラインを車で西に進むと、三十分ほどで房総半島南西端の洲崎に着く。古く急な石段を上った先に、東京湾を見下ろすように高さ約十五メートルの洲埼灯台がそびえ立つ。

 洲埼灯台が初点灯したのは、一九一九(大正八)年十二月十五日。岩礁が多い洲崎沖は、江戸時代から海難事故が多発していた。洲埼灯台ができたことで、房総半島最南端の野島埼灯台(南房総市)に誘われて座礁するケースも減ったという。

 関東大震災(一九二三年)では外壁がはがれ落ち、本体にひびが入った。昭和初期、軍艦「比叡(ひえい)」が参加して行われた砲撃では、衝撃で灯台のガラスが割れたという逸話を持つ。太平洋戦争の折は米軍の空襲に遭い、光を放つ内部のレンズなどが損壊。こうした苦難にも、灯台本体が消失することなく、改修を重ね往時の姿を今に伝えている。

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 六月十三日、館山市中央公民館が点灯百年を記念した「ふるさと講座」を開いた。地元の高齢者約二十人が現地で灯台の歴史を学んだ。千葉海上保安部職員から「なぜここに灯台ができたか、記録が残っていない」と知らされ、参加者は一様に驚いた様子を見せた。街が発展すると港も大きくなり、船の目印になる灯台の必要性が高まり、地元から国へ建設を陳情したというのが、海保職員の見立てだった。

 その後、参加者は灯台内部を見学。所々はがれた内装や、上に通じる幅の狭い階段を目にしながら、職員らの労苦をしのんだ。

 館山市内の七十代女性は「ふだんは遠くから見てばかり。こうして近くで見ると本当にきれい。地元の名所を学べるのは貴重な機会」と、講座に満足した表情だった。

 近年はロケ地として利用されることも。アイドルグループAKB48のヒット曲「会いたかった」のプロモーションビデオの舞台にもなり、灯台周辺で踊り、駆ける姿が収められている。

 点灯百年を記念し、館山市は十月上旬、市制施行八十周年と併せ記念行事を予定。千葉海保も二十四日に夜間公開を行い、十月に記念イベントを企画している。

 洲埼灯台 1919年5月23日起工。高さ15メートルの円形コンクリート造り。30秒ごとに白と赤の閃光(せんこう)を放つ。対岸の神奈川・三浦半島にある剱埼(つるぎさき)灯台と結ぶ線が、東京湾と太平洋の境界になる。2015年3月、国の登録有形文化財となった。

灯台内部の狭い階段。内装がはがれ落ち、時の長さを思わせる

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