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【千葉】

<つなぐ 戦後74年>鮮明な手記 伝える「戦争」 我孫子市史研究センター 会員の28編まとめ出版

体験記を手に「戦争はまっぴらごめん」と話す谷田部さん=柏市で

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 約百五十人の有志でつくる「我孫子市史研究センター」(関口一郎会長)は、七十四回目の終戦日を前に、会員の手記をまとめた「体験記 私たちの戦中・終戦直後史」を、柏市の出版社つくばね舎から刊行した。各手記には筆者が幼少期に見聞きした出来事が鮮明につづられ、人々の暮らしを通して、戦争の姿が浮かび上がる。 (堀場達)

 会員二十七人が寄せた二十八編の手記と、我孫子市で生まれ育ち、終戦時に二十〜六歳だった男性四人の座談会を収録した。会員で、つくばね舎を営む谷田部隆博さん(73)が「戦中、戦後に少年少女期を過ごした人々が生活の中で見た風景を、証言として記録しておく必要がある」と、編さんを提案した。

 筆者の多くは、空襲から逃げ回ったり、集団疎開で親元から離れたり、勤労動員に従事させられるなどの体験をしている。一九四四〜四五年、東京から学童疎開し、小学五、六年時を伊豆で暮らした女性は、食べ物事情について、詳細に描写した。慰問で配られた菓子を、引率の教員にピンハネされていたことが、戦後かなりたってから、判明したという切ない思い出を披露している。

 原爆投下当時、五歳だった長崎市出身の男性は、記憶している風景や家族が亡くなった時の様子、大人たちから聞いた話などを記し、被爆の惨状を伝えている。四七年に二十歳で警視庁巡査となった男性は、米軍のMP(憲兵)と、四輪駆動車に同乗してパトロールしたという、あまり知られていない体験をつづった。

 戦後生まれで、手記を寄せたのは二人。そのうちの一人が谷田部さんで、開拓移民として旧満州(中国東北部)に渡り、息子三人と夫を失った伯母の過酷な体験を書いた。どの手記にも戦争への嫌悪感と、次世代には絶対体験させたくないとの思いがにじむ。

 谷田部さんは「あの戦争をなぜ始めたんだと、ずっと思い続けてきた。現代にも通じるテーマとして、体験記が考えるきっかけになればうれしい」と話す。体験記は二百六十ページ、千七百二十八円(税込み)。問い合わせはつくばね舎=電04(7144)3489=へ。 

 

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