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【千葉】

<つなぐ 戦後74年>山上の旧忠霊塔、守り続ける 勝浦 老朽化の中、寺と市職員が除草に汗

旧忠霊塔周辺の除草作業に当たる勝浦市職員ら=7月、勝浦市出水で

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 勝浦藩主・植村家の菩提寺(ぼだいじ)として知られる覚翁(かくおう)寺(勝浦市出水)の裏山に、戦没者をまつる古い忠霊塔が立つ。管理が行き届かず、荒れるに任せる状態が続く中、今年も市職員と寺が力を合わせ、除草作業に取り組んだ。風雪を刻んだ祈りの塔は山の上から、ひっそりと平和な世の中を見守っている。 (山田雄一郎)

 覚翁寺から山頂に至る道は想像を超える悪路だ。七月十日昼すぎ、戦時中の防空壕(ごう)を横目に、草木が伸び、石段や手すりが崩れた山道を進む。息は上がり、体中から汗が噴き出す。十分ほど歩き、ようやく頂上に差しかかった。

 「昔はここから勝浦の海が見渡せて、休日になると家族で楽しんだらしいです」。草刈り機で山道を除草しながら話すのは、覚翁寺副住職の大日方泰道(おびなたたいどう)さん(54)。今は樹木で視界がさえぎられ「これだけ草がぼうぼうだと、除草といっても、なかなか大変」と苦笑した。奥にある忠霊塔周辺では市職員四人が黙々と、大日方さんのように雑草を刈り取っていた。

覚翁寺の裏山に立つ旧忠霊塔。石の一部が崩れかけている=同市出水で

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 忠霊塔は一九五五(昭和三十)年十二月、勝浦町(当時)が、日清・日露〜太平洋戦争の戦没者を慰霊するため建立。材質は花こう岩で、塔の高さは約七メートル。「忠霊塔」と記された碑文は、鳩山一郎首相(当時)の揮毫(きごう)だ。

 以後六十年間、毎年八月十五日には市職員と地元遺族会が黙とうをささげ、真珠湾攻撃の日となる十二月八日には、地元仏教会が読経をあげていた。市が予算をつけ、当初は年二回、寺とともに除草作業を行っていた。

 しかし、高齢化する遺族にとって山道を登るのは大変な苦労で、訪れる人は年々減少。財政悪化で、市の除草作業も年一回となり、忠霊塔の老朽化が進んだ。現在は塔の石が一部崩れかけ、碑文も風化で読み取りにくい状態だ。

八幡岬公園に建てられた新たな忠霊塔=同市浜勝浦で

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 市と遺族会などは参拝しやすい平地を求め、二〇一六年三月、南約二キロの八幡岬公園に新たな忠霊塔(高さ約二・五メートル)を建立。新忠霊塔のそばに今夏、岬に新築した経緯を解説した碑文を設置した。

 市福祉課の担当者は「遺族が心配しているのは、戦争を語り継ぐ人がいなくなること。新たな碑文が(忠霊塔に関する)理解の助けになれば」と期待する。

 覚翁寺住職で、泰道さんの父泰明(たいめい)さん(82)は「年配者の中には忠霊塔の移転を知らない人もいる。(旧忠霊塔が)祈りの場であることに変わりはなく、寺としても年に何回かの除草作業は続けたい」と語った。

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