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【千葉】

利根川と江戸川結ぶ利根運河 「歴史の道」に選定

歴史の道に選ばれた利根運河と運河水辺公園=流山市で

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 利根川と江戸川を結ぶ土木遺産、利根運河が文化庁の「歴史の道百選」に追加選定された。鉄道の発達や水害により、明治期の完成から五十年ほどで水上の交通を担った運河としての使命は終えたものの、自然豊かな水辺は今も市民の憩いの場として息づいている。(林容史)

 利根運河は流山市深井新田−柏市上利根の全長八・四キロ。途中、野田市の市境を流れる。

 水運が栄えた江戸時代後期、北関東や東北から大消費地江戸を目指す舟運路の利根川と江戸川を、短い水路で結ぶ発想があった。明治になり、陸路より速い大量輸送手段が求められるようになると運河開削の機運が高まった。

 利根運河会社が設立され、内務省のお雇い工師でオランダ人のA・T・L・ローウェンホルスト・ムルデルが運河を設計、一八八八(明治二十一)年に着工した。工事の大半は人力で、多い時には日に四千人以上が従事、延べ二百二十万人の労働力を要し、九〇年二月に全線通水した。

 最盛期は高瀬舟や蒸気船などが行き交い、荷物や旅客を運んだが、鉄道や道路網の整備が進むと水運業は衰退。度重なる渇水や洪水も会社の経営を圧迫した。一九四一(昭和十六)年七月の大洪水では、各所で堤防が決壊、利根川口寄りの水堰橋(すいせきばし)も崩壊し、壊滅的な打撃を受けた。翌年、維持管理が困難となり事業は廃止、利根運河会社は解散し、国有化された。通水から五十二年で、百万隻の船舶が運河を航行したとされる。

 現在、運河沿いの遊歩道では市民らが散歩やジョギングを楽しむ姿が見られ、自転車やオートバイでツーリングに訪れる人もいる。東武野田線運河駅に近い流山市の運河水辺公園では、地元NPO法人が毎月、朝市を開いたり、近くの東京理科大学の学生たちが毎年、イベントを企画したりしている。

 流山市立博物館の学芸員の北沢滋さんは「昔からよく知られた街道だけでなく、水運で栄えた遺産にスポットを当ててもらった」と選定を喜ぶ。「いまや地元の人たちにも利根運河を船が通っていたイメージはない。かつて運河が果たした役割を多くの人に知ってもらい、観光拠点づくりのきっかけになれば」と期待を寄せている。 

<歴史の道百選> 地域の文化や歴史に関心を深めてもらうため、文化庁などが各地に残る歴史的な道を調査、整備、1996年に選定委員会により78カ所の街道や運河を選定した。今回、新たに36カ所を選定、計114カ所になった。

 

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