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【千葉】

<東京2020 夢舞台ともに>(3)技術で世界つなぐ 国際放送センターなどの運営を支援・村瀬勝さん(65)=八千代市

現在は訪問介護事業などを行うNPO法人の理事長を務める村瀬勝さん=八千代市で

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 八千代市の高津団地を拠点に、訪問介護と介護タクシー事業を展開するNPO法人わかばネットの理事長・村瀬勝さん(65)=同市在住=は、東京五輪パラリンピックの期間中、東京ビッグサイト(東京都江東区)に設けられる国際放送センターとメインプレスセンターに通い、大会運営を手伝う。混信を防ぐなどのため、各国メディアが持ち込む電波機器をチェックする重要な役割だ。現在の仕事からは想像しがたいが、村瀬さんは無線業務のエキスパートという顔を持つ。

南極のみずほ基地にたたずむ村瀬さん=1983年、本人提供

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 村瀬さんは香川県出身。国立詫間電波高校(現香川高等専門学校)を卒業後の一九七三年、電電公社(現NTT)に入社し、国内で二カ所しかなかった短波無線局の銚子無線電報局などに勤務した。

 モールス信号を使い、東京湾に入港してくる外国船や、遠洋に出ている日本の船と陸地とのやりとりを中継する。「衛星電話は普及していないし、インターネットもない。通信手段はモールスだけだから、とにかく忙しかった」

 特に思い出深いのが、南氷洋(南極海)や北洋の捕鯨船団からの電報だ。「年末年始に船員から家族や知人に宛てた電報をひっきりなしに受信した。捕鯨が盛んな時代を肌で味わった」と振り返る。八二年七月〜八四年三月には、通信担当として、第二十四次南極地域観測隊に加わり、極地での越冬を体験した。

 社内の隊員募集に手を挙げたが、二度は落選。三度目の正直で念願をかなえた。熱望の理由が奮っている。「すごくシンプルですよ。子どものころから、船乗りになりたかったんだ。(高校進学先に)詫間を選んだのもそう」。南極への往路で乗船したのは「ふじ」、復路は船橋港に現在、係留され、一般公開中の初代「しらせ」で帰国した。

 帰国後の村瀬さんは、三重県鈴鹿市にあったNTTの研修施設・エキスパートカレッジで無線の専門的な勉強を重ねたり、千葉支店で法人営業に取り組んだりした。福祉の仕事は二〇〇一年、四十七歳でNTT東日本を早期退職し、再就職先で縁ができた。

 「介護は全くの成り行きで始めた」というが、持ち前の勉強熱心さで、五十歳を越えてから、事業運営に求められる各種資格を取得した。「やってみると、私の性分に合っていた。人とコミュニケーション取るのが好きだし、喜んでもらえるのが、何よりの活力源」。無線業務と同様、今の仕事にも誇りを抱く。

 五輪・パラリンピックでの村瀬さんの肩書は、一般社団法人・電波技術協会の技術員。五段階の技術員でトップレベルにランク分けされ、英語能力も条件の一つだ。

 高校の同窓会を通じて募集呼び掛けがあり、「一生に一度のことだから」と応じた。「英語の単語はよく知っているけど、会話はちょっとね。年明け早々にヒアリング講習を始めたい」。かつての夢「船乗り」とは別の形で世界をつなぐ。 (堀場達)

 

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