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【千葉】

<東京2020 夢舞台ともに>(6) 体操競技の器具提供に内定の「セノー」国際イベント戦略室課長・山崎雅志さん(55)

全国の競技会場を飛び回り「本社にはほとんどいない」という山崎雅志さん=松戸市で

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 二〇一一年の世界体操競技選手権東京大会。期間中、会場の東京体育館(東京都渋谷区)に午前六時から詰め、真夜中にようやくホテルに帰る生活を続けた。演技の最中は、自社が提供した器具から異音がしないか、壊れやしないか「生きた心地がしなかった」と振り返る。

 「もし何かあれば『セノーの器具が』とは言われない。東京の選手権でトラブルがあったと世界に言われてしまう」。一三年九月に東京五輪・パラリンピックが決まった瞬間、「また、あれがあるのか」と震えた。「しかも、もっと大きな舞台で…」

 一九六四年十月二十六日、前回の東京五輪が閉幕して二日後に産声を上げた。出産と五輪で気をもんだ母美恵子さん(75)には、いまだに「(五輪が)終わるまで出てこなかった」と言われる。

 八八年にセノーに入社。同年のソウル五輪の体操競技をテレビで観戦していると、日本体育大学体操部で同級生だった山田隆弘選手が吊(つ)り輪の演技をしていた。主将として日本チームを引っ張り、団体銅メダルに導いた。「あの会場で自分も何かやってみたい」。ふと思った。そして三十年以上たって、チャンスは巡ってきた。

 世界選手権をはじめ、数々の国内大会で器具の設置から微調整、メンテナンスなど会場設営の陣頭指揮を執ってきた。しかし、世界選手権で絶対エースの内村航平が六連覇を成し遂げようが、ひねり王子の白井健三が十七歳で金メダルを獲ろうが、それは五輪とは根本的に意味合いが違うという。「人の記憶に残るか、残らないかなんです」と力を込める。

 五輪に競技用の器具を提供しても、ビジネスとしてはあまりうま味はないという。国内外から問い合わせが増える一方、五輪で採用されれば主力の教育現場から気軽に声が掛かりにくくなる。結局「持ち出しの方が多くなる」と腹をくくらなければならない。

 それでも「これまで五輪に納入してきたメーカーとして手を挙げない選択肢はなかった」。輸送経費がかかる海外ならまだしも、地元開催の五輪に提供しなければ、批判が上がることは容易に想像がつく。プライドと、失敗の恐怖の間で会社もまた揺れた。

 これから、体操や新体操、トランポリンなどの競技大会で全国の会場を飛び回りながら、契約に向けて東京五輪・パラリンピック組織委員会と協議を重ねていくことになるという。

 製作現場は材料を切断したり、溶接したり、部品を削り出したりと手作業の世界。学校などにスポーツ器具を納入する繁忙期を前に、新年を控えた群馬県沼田市の工場では、職人たちの間に既にピリッとした空気が漂っていた。

 「寝ているうちに終わってくれればと思うけど、オリンピックは特別なもの。始まってしまえば全て忘れてしまう」と笑い飛ばし、次の現場に慌ただしく向かった。 (林容史)

<セノー> 松戸市松飛台に本社を構えるスポーツ・健康器具メーカー。1908年、農機具を扱う個人商店としてスタート。はしご状の体操器具の肋木(ろくぼく)を売り出して学校設備の分野に進出した。63年に体操器具が国際大会使用器具の認定を受け、64年東京五輪に提供。バレーボールの器具も手掛けた。演技で使用されたあん馬1台は今も社内に保管されている。

セノーが製作した1964年東京五輪のあん馬を前に談笑する同大会金メダリストの旧ユーゴスラビアのミロスラウ・ツェラルさん(右)と銀メダリストの鶴見修治さん=松戸市役所で

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