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【千葉】

愛した妻の人生伝えたい 我孫子・高井保秀さん 出会いから別れ小説に

留美子さんの遺影の前にたたずむ高井保秀さん=我孫子市で

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 4年半にわたって、がんと闘病した妻を看取(みと)り、我孫子市の手賀沼畔に住む男性が、夫婦の出会いから別れまでを、1冊の本にまとめ、亜璃西(ありす)社=札幌市=から出版した。「妻が生きた証しを、記録で残したかった。家族が病に倒れたときの参考にしてもらったり、幸せの意味を伝えたりできれば」と執筆の動機を明かす。 (堀場達)

 作者は、横浜市の医療機器開発会社で監査役を務める高井保秀さん(67)。肺腺がんと診断された後、脳に腫瘍が転移するがん性髄膜炎を発症し、二〇一八年三月、六十四歳で亡くなった妻留美子さんとの思い出を「瑠美子、君がいたから 二人で歩んだ人生ノート」につづった。

 高井さんと留美子さんは食品輸入商社の同僚として知り合い、一九七八年、結婚式を挙げる。最初の勤務地の大阪市、新婚生活を送った札幌市や柏市、海外赴任先の米国ロサンゼルス市、そして家を構えた我孫子市など、それぞれ魅力にあふれた土地で、二人がつむいできた暮らしの物語が進む。

 ページの多くが割かれるのは、留美子さんが発病した二〇一三年以降。体力が衰え、歩行や会話もままならなくなっていく留美子さんを、高井さんは自宅で看病し、手術を受ける病院や緩和ケア病院で寄り添って過ごす。留美子さんの苦痛や自身のつらさを詳細に記す一方、車いすに留美子さんを乗せ、手賀沼の水辺を散歩した時のことなど、心が和んだ思い出を描写していく。

 留美子さんをはじめ、ほとんどの登場人物は仮名。「実名で書くと心を平静に保てなかった。客観的に書き進めるための工夫」と高井さん。ただ、作中の「瑠美子」は、留美子さん自身が結婚前、この「瑠」という字を好んでいたと、彼女の友人から聞いて採用したという。

 本は小説風の体裁だが、高井さんは「妻の心理描写は私の想像だが、それ以外は事実に即している」と話す。「素晴らしい女性だった妻のことを伝えたい」にとどまらず、闘病の記録を「誰かの役に立てることができるのでは」と考えたからだ。「がん性髄膜炎については情報が少なく、病状の進行について調べても分からなかった。参考にしてもらえるだろう。緩和ケア病院も、患者家族ら当事者の体験記は多くない」

 執筆を通して、高井さんは留美子さんを愛していたことに、改めて気付かされた。「四十年の結婚生活で感じていた優しさに加え、学生時代のエピソードを聞き、自立性としんが強い一面もあったと知った。家族の健康など、ささいで平凡な日常こそが、私は幸せだと思う」

 我孫子市の中学校六校などに寄贈するため、今月末に増刷。千五百円(税別)。

 問い合わせは高井さん=電090(9679)9671=へ。

高井さんが留美子さんのことをさらに知ることになったという学生時代に所属したサークルの文集と、手賀沼の風景写真を表紙に使った闘病記

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