東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 千葉 > 記事一覧 > 1月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【千葉】

捕虜、食事や郵便に不満 第1次大戦時 習志野に収容のドイツ兵

ドイツ兵捕虜が制作したとみられるボトルシップの説明もあった講演会=習志野市役所で

写真

 第1次大戦時、習志野市に設置された「習志野俘虜(ふりょ)収容所」の記録をたどる講演会が26日、市役所であった。同収容所内でドイツ兵捕虜らは、第2次大戦時の悲惨な状況とは異なり、国際法に基づいた扱いで音楽やスポーツに親しむことができたとされている。講演した研究者らは、捕虜の間で食事や郵便などを巡って不満があったことなども報告した。(保母哲)

 講演会では、県日独協会名誉会長である宗宮好和・千葉大名誉教授、収容所研究を続けるドイツ・ハイデルベルク大学講師のメルバー・琢磨さんら四人が登壇。約百七十人収容の会場は満員となり、会場外のモニターで講演を聞く市民も多かった。

 捕虜だった水兵、エーリッヒ・カウルの日記(市有形文化財)の翻訳作業を進める宗宮さんは、その内容を紹介。東京俘虜収容所(東京・浅草)の朝食では「紅茶とパンとバターが出た。日本側の待遇は大変に人道的である」だったものの、習志野の収容所に移って以降は「待遇がひどくなっている」と記されていた。

 「肉といっても脂身の塊しかないが、わずかばかりのそれを皿の中に見つけても、あまりにまずくて食べずに取り出してしまう」。郵便では「手紙とはがきは一カ月当たり一人一通ずつしか出せない。二枚の便せんの行数も指定されている」などと、日記には不満がつづられていた。

 講演後の取材に、宗宮さんは「なぜ、捕虜の待遇が悪くなったかは不明。食事や郵便のほか、給与の面でも不満があったようだ」と話した。メルバーさんは収容所内で撮影された写真など、市教育委員会の職員は捕虜が制作したとみられるボトルシップ(市有形文化財)の仕組みなどを紹介した。

 同収容所を長年研究してきた市農業委員会事務局の星昌幸さんは、収容所の概要が分かってきたのは各種資料を保存などしてきたドイツ人がいたからで、「こうした人々に感謝しなければいけない」と説いた。

<習志野俘虜収容所> 現在の習志野市東習志野4丁目と5丁目の一部に、1915〜20年に設置された。中国・青島などで日本軍に敗れたドイツ兵を中心に、最大で約1000人が生活。捕虜たちは敷地内で農作物を育てたり、テニスコートやフットボール場でのスポーツ、編成したオーケストラによる演奏会などの音楽活動などをしていたことが知られている。本国からの送金や将校への給与、賃金が支払われる労働もあり、収容所内の売店で買い物もできた。

習志野俘虜収容所内でドイツ兵捕虜が編成したオーケストラ(習志野市教委提供)

写真
 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報