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【過ぎし楽しき千葉の日々 椎名誠】

海の近くの学校で 校庭に鳥が群がってくる

椎名少年が通った千葉市立幕張中学校の校舎。後に取り壊され、現在は別の校舎が立っている(1955年度の同校卒業アルバムから)

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 戦後急速に増えた生徒をおさめるためにぼくたちが入学したときもまだ新しい校舎を建設していて、同時に校庭の拡張工事もやっていた。そのあたりは関東ローム層のただ中だったから、いたるところにある疎林のはえた小さな山などから削った赤土を、何台ものダンプカーが校庭に運んできていくつもの小山を作った。

 ダンプカーが次の土を持ってくるまでのあいだ、どこからともなくいろんな鳥がやってきてその赤土の小山のまわりに群がった。何をしているのだろうかと昼休みなどに見にいくと、赤土の中から顔を覗(のぞ)かせる大小さまざまな虫を狙っているのだった。いわゆるイモムシというやつである。

 これを狙ってくる鳥はカラス、白鷺(しらさぎ)、ハゲコウ、キャアケキャアケという特徴的な鳴き声で大騒ぎするミズナギドリなど海の鳥がけっこう多いのに驚いた。

 校庭は北の方向にむかってどんどん広げられていくようで、それらの赤土の山ができるとブルドーザーが土の山を崩し整地していく。するとまた砂がかきまわされるからだろう、ブルドーザーの後ろを鳥たちが行列を作るようにして追っていく。この大群の行進ができるともう授業どころではなく「ああ早く外に出て遊びたいなあ」ともだえるような気持ちになるのだった。

 どの段階で混ざりこんだのか、ときどき小さなヘビがそのブルドーザーの作った臨時赤土の上でくねくね踊っていることがあった。たいていはヤマカガシだった。当時はヤマカガシはまったく無毒だと信じられていたので昼休みの時間などはその踊りまくるヤマカガシを捕まえて首に巻いたりするのが勇者のあかしだった。

 もっともそんな遊びは小学校の頃からの延長にすぎない幼稚な遊びで、上級生はまだいままでどおり使えるテニスやバスケのコートなどに行って、部員もそうでないのもまじったおそろしく大勢のボールゲームをやっているのがもっと幼稚な玉取りゲームみたいで面白かった。

 その中学には遠い山の中にある規模の小さな小学校も含めると七校ほどから生徒が集まっていたので、そういう自由時間はどうしても出身小学校ごとに徒党をなしてしまうことが多かった。一番大勢いるのはぼくたち海縁(うみべり)にそって広がっている町の出身者で、当然学校のなかでも大勢力を誇って、狭くなった校庭などでも一番広い面積を使って遊んでいた。

 第二勢力は学校の裏側にある丘陵沿いに広がった農業中心の町からやってくる生徒で、ここからは八十人ぐらいの生徒が参入してきていた。距離にして学校から千メートルもないエリアに住んでいるのだが、海浜仕事の町と農業専門というのは生活や考え方がそれぞれ異なっていて、親たちの代からあまりうまくいっていない。ささいな感情の行き違いだったのだろうが、時々双方で口喧嘩(くちげんか)などがおきるようになっていた。 (作家)

 

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