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【過ぎし楽しき千葉の日々 椎名誠】

シネマの街で 緞帳が開き、高まるコーフン

1987年に閉館し、取り壊された「竹沢劇場」(撮影 沢本吉則)

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 中学生になると小遣いが月百円になった。同時に電車に乗って近隣のそこそこ大きな街に行ってもいいことになった。幕張からは国鉄(今のJR)と私鉄の京成電車のどちらでも千葉に行ける。電車賃は片道十円。中学生は大人料金だったが子供料金でごまかした。駅員は実はわかっていたようだが何も言わなかった。

 当時のぼくから見たら千葉は大都会でいきなり華やかな気持ちになった。まずデパートに行くのが楽しみだった。奈良屋と扇屋という大きなデパートがあって、そのどちらも華やかで、とくに何も買わなくてもいろんな売り場を眺めて歩くだけで心が浮き立った。

 本売り場などではいろんな雑誌をパラパラやっていても誰にもとがめられることもなく、そういうところも都会はいい! とつくづくうれしくなった。

 最大の楽しみは映画を見ることだった。映画館は何館かあったが一番大きくて堂々としていたのが竹沢劇場でぼくは嵐寛寿郎の鞍馬天狗が好きだったのであたらしい作品が公開されるとやはり鞍馬天狗ファンの友達と誘いあい、心弾ませて劇場に行った。映画は子供五十円だった。中学から大人料金になるけれどそこもごまかして子供料金で入った。ぼくは背が高かったのでチケットを買うときは膝をまげていた。

 竹沢劇場は館内が広く、天井が高い。場内は落ちついていて大きな幕がかかっていた。

 その当時は呼び方を知らなかったがつまりは「緞帳(どんちょう)」である。端っこのほうに「パピリオ」と書いてあった。その会社が寄贈したものなのだろうが、パピリオという文字もモダンで都会的で、やっぱり大都会はいいもんだ、と友達とつくづく感心しあった。

 映画の上映の時間になると天井にある一番大きな照明がじわじわ暗くなっていき、それに合わせるように目の前のパピリオの大きな幕が左右に開いていく。

 もうその上映開始の一連の連動が素晴らしく、ぼくの期待とコーフンは極限まで高まった。本格的な映画館のスクリーンは夏に小学校の校庭で必ずやった野外映画の、敷布を二本の柱に張りつけて上映するようなのとはまったく違って風が吹いてくると画面の中のスターの顔などがふわふわ歪(ゆが)むようなことは一切なく、なによりも画面が大きかった。

 劇場の映画はニュースからはじまることが多くたいていアメリカンフットボールのニュースなどがあって、そのあとは予告編だった。ぼくには本編が始まる前のこれらの映像からワクワクしていた。

 映画がおわるとそのまま帰った。電車賃は往復二十円、映画が五十円。残りはその月であとで使うことがいろいろ出てくるので駅そばを食べていきたかったけれど我慢しなければならなかった。大人になったら駅そばを大盛りおかわり、というのが夢だった。でも大人になるとそんなに沢山食べられなかった。(作家)

 

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