東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 千葉 > 過ぎし楽しき千葉の日々 椎名誠 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【過ぎし楽しき千葉の日々 椎名誠】

千葉公園の戦い 売られた喧嘩はすぐ買った

市民の憩いの場となっている千葉公園。池の上で泳ぐこいのぼりが、訪れた人たちの目を楽しませていた=千葉市中央区で

写真

 日曜日など数人で千葉に行くことがあった。そういうときは映画など見ないで千葉港や千葉公園などに行った。港で大きな船の荷おろしなどを見ていると飽きないし、クレーンの役割などもよくわかった。でもそういうのを見物している場所を選ばないと「コラァどけどけ、邪魔だ」などと大きな声で怒られる。

 そこで次は千葉公園に行った。駅裏のなにかの跡地にさして高低のない規模の大きな公園があり、隅っこのほうに幼児用の遊具がおいてあるだけだからぼくたちはやや斜面のついた広場などに行った。そこには大きなコンクリート製の塔が威圧的に屹立(きつりつ)していて「忠霊塔」と書いてあった。なにかを奉ってあるものだ、ということはわかったがその「なにか」がぼくたちにはわからなかった。

 ところどころに小さな子をつれた親子とかちょっと遠慮がちなアベック(当時はカップルなどとはいわなかった)がチラリホラリ。

 コンクリートで護岸を作った人工の小さな川で、いくらか落ち葉をためて困ったように水がチョロチョロ流れていた。

 全体に余計なものは何もない、という感じなのでぼくたちは困り、もうすこし斜面を登っていくとコンクリートでつくられた大きく丸いものがあって、そこに五、六人のぼくたちとほぼ同じぐらいの学生がいてそのうちの何人かはタバコを吸っていた。

 友達にはなりそうにない連中だとすぐわかったのでそちらのほうには行かないようにした。それでもそいつらがかなり速い動作でぼくたちのほうにやってきてなんとなく取り囲まれてしまった。

 「てめえらイモ中だな」

 そいつらのなかで学生帽をアミダにかぶって異常なくらい色の黒い一人があきらかに喧嘩腰(けんかごし)で言った。

 幕張は青木昆陽が芋の栽培のリーダーになり天明の大飢饉(ききん)を救ったという歴史があり、中学生の徽章(きしょう)は芋の葉をかたどってある。そのためからかわれるときは「イモ中」とよく言われた。喧嘩早い神田パッチンが「なんだ千葉のだらだら野郎!」とすぐに応戦した。「こんなとこでシケモクふかしてみっともねえ」。ぼくたちの仲間の中田が追い打ちをかけるようにして言った。

 すぐに「なんだあ、このやろう」ということになってたちまち殴り合いの喧嘩になった。千葉は漁師町が多いのでどこへいっても大人も子供もちょっとしたことですぐに喧嘩になる土地だった。それぞれのグループが二手にわかれて殴り合い、双方の何人かが及び腰になっているのが見えた。ぼくたちは幕張の埋め立て草原でとなり町の検見川の連中としょっちゅう殴り合いをしていたから、そこにいるやつらより数ではまけていたが結構互角に闘えた。そんなところに制服を着た公園整備員が二人走ってきたのでどちらがどうという結果がでないまま、両グループは別々の方向に逃げた。 (作家)

 

この記事を印刷する

PR情報