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【過ぎし楽しき千葉の日々 椎名誠】

深夜の海岸に神社の『一族』大集結 安産祈願の七年祭り

2009年に行われた「七年祭り」の様子=千葉市花見川区で(船橋市教育委員会提供)

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 毎年九月の十五日から三日間は千葉市幕張町の祭りで、開催日程が主体だから週末に合わせるなんてことはなく、まあたいてい平日に学校の教室で遠いお囃子(はやし)を聞いているのはけっこうザンコクだった。まだ暑い季節だから教室の窓は全開になって外の音がまるまる入ってくる。そんななかでまともに勉強なんか出来るものじゃなかった。

 授業が終わると一目散に家に帰り、ランドセルをほおり投げるとただいまーも行ってきまーすもなしに外に飛び出していった。

 幕張の町は一丁目から五丁目まであって毎年まつりのもろもろのしきり一切は一丁目から順番に担当になった。でも住宅の数や町としての景気のよさはいろいろだった。歴史があり、神社なども大きな地域は町としての貫禄があり、神輿(みこし)や山車(だし)も同じものを使っているのだろうがなにしろイキオイがちがった。

 神輿は地方のものとしては結構大きく、重そうだった。高校生以上でないと、とりついてはいけないことになっており、ちゃんと資格があって神輿にとりついても浜漁師がハバをきかせている土地だったから背が低く痩せっぽちはすぐにはじきとばされた。

 ぼくはクラスで一番背が高かったけれどなにしろまだ小学生だから強引に飛びつこうとすると三メートルぐらいふっとばされた。

 そのときなんとも甘い匂いがみこしのまわりにもやもやしていて、後にそれは酔った親父(おやじ)の酒の匂いだ、ということがわかった。

 まつりの話は前にも書いた気がするが、ここらの広い一帯には「七年祭り」というものがあり、これは数え年で七年目(六年ごと)に行われるのでこう呼ばれ、規模が大きく県指定の無形民俗文化財になっていることをあとで知った。

 むかし下山(しゅうさ)といったこのあたりに点在するけっこう大きな神社が連動して行う七年に一度の文字通り大祭だった。

 このまつりの由来は藤原時平の子孫が久々田(津田沼の菊田神社)に流れついたという伝承からはじまった。

 安産の神社として知られ、この地域のかなり広範囲にある神社が七年ごとに行われる大祭に参加する。神社によって役割が決まっており、二宮神社が父。子安神社が母。子守(こまもり)神社が子守(こもり)。三代王神社が産婆(さんば)、菊田神社が叔父。大宮大原神社が叔母、時平神社が長男。高津比〓(ひめ)神社が娘、八王子神社が末子、というような堂々たる神社の一族があって、それらの神輿の四基が十一月の真夜中に幕張の海岸に集まってくるのだった。

 ぼくは小学生の時の記憶しかないが、幕張海岸に長くて大きな竹が何本も打ち込まれ、それらにかこまれたなかでお産の儀式が行われるのだった。

 房総とはいえ十一月真夜中の海岸は寒い。ネンネコみたいなのにくるまって震えながら「これはたいしたまつりだ」と感心して見ていたものだ。次の七年後にまた見るんだ、と決めていたが、その七年は何度もとおりすぎてしまった。 (作家)

※〓は口へんに羊

 

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