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【過ぎし楽しき千葉の日々 椎名誠】

海の農業 海苔が風にさらわれ飛んできた

幕張海岸の海苔貼りの様子(1957年)=林辰雄氏撮影、千葉県立中央博物館蔵

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 冬のあいだ閉鎖されている海の家(潮干狩り客の休憩所)に忍びこんで、板戸で囲った簡易倉庫をこじあけて夏のあいだに売れ残った菓子や缶詰なんかを奪っていく、というまあレッキとした犯罪が面白くなってしまった。

 簡易倉庫の錠前をむやみにたたき壊さず、辛抱強く「目クギ」をじわじわ動かしてそいつごと錠前鍵を外してしまう、というのはなかなかの知能犯で、扉があいてもやたらにいろんなものをごっそり持ち去っていく、などということはせず、全体から少しずつ略奪し、そこを去るときは目クギごと引き抜いた鍵全体を注意深くもとに戻して痕跡をなくしておく、ということを厳格に守った。

 このようにすれば一冬すぎて「海の家」の人がその簡易倉庫をあけても、まず誰にもそのちょっとした変化は気がつかれないはずだった。

 新しく埋め立てられた先端部分にはそれまであった屋号の海の家に加えて「大海原」と「すなやま」という新たな二軒がくわわり、いままでの海岸の景色とはかなりちがって見えた。

 暮れから新年、そして冬休みなどは盗賊団はあまり海にはいかなかった。みんなそれぞれの家の手伝いをやらされたし、海にいきたくても仲間がそろわなかった。

 千葉のそのあたりは冬はよく晴れる日が多かった。農業と沿岸漁業を兼業している友達のところはそういうよく晴れた日は家の手伝いがたいへんだった。

 海苔(のり)を作るのが一番もうかるからみんなやっていたが、これは真冬のまだ暗いうちに親のひくリヤカーを押して、まだ暗い海の中に入り、のりひび(海のなかで海苔栽培している)に育った海苔の若い芽をペカブネ(海苔採り舟)にのっていって沢山(たくさん)むしってくる。これはまさしく海の農業そのものだった。まだ海水がしたたり落ちるままリヤカーに乗せて家まで持ち帰る。

 庭ですぐに水洗いして包丁でこまかく切り刻み、木でつくった海苔枠に浮かべて全体の厚みを平均にして藁(わら)で作られた海苔よりひとまわり大きなスダレのようなものに上手に乗せる。その日収穫した海苔の処理がすむとまた一家総出で自分の畑にもっていって、そこに収穫のすんだ農作物のかわりに太陽にむけて斜めに立てた海苔干しに丁寧に並べて干す。

 あたりが冬の寒さでも、快晴ならそこそこ風がふきわたるような日は午後三時ぐらいにはすっかり乾いてしまい、吹いてきた風にさらわれて飛んでいってしまうことがあった。

 海からあるいて十分ぐらいのところにぼくの家があり、そのまわりにはけっこう畑が多かったので、風に飛ばされていくそういう乾燥したての海苔をよく見た。どこからはがれて飛んだか風向きでだいたいわかるのでそういうのを回収して持っていってあげるとずいぶん喜ばれ「あいよ」などと乾きたての海苔を数枚くれた。 (作家)

 

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