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【社説】

安保法制判決 何も答えぬ司法に失望

 健全な司法か。「安全保障法制は違憲」と訴えた訴訟の全国初の判決が札幌地裁であった。だが、「訴えの理由がない」と原告敗訴。原告や証人の尋問も認めず、一刀両断する司法には失望する。

 集団的自衛権の行使を可能にした安全保障法制は憲法に反するのではないか−。多くの国民が抱いた疑問だ。長く日本政府が個別的自衛権のみを認め、「集団的自衛権の行使はその枠を超え、憲法上、認められない」と国民に説明してきたからだ。明らかに矛盾している。

 原告四百人余りは国家賠償を求める形で訴訟を起こした。平和的生存権の侵害による精神的苦痛などを理由とした。だから、原告たちには法廷で語らせないと、苦痛への理解は深まらない。証人尋問をしてこそ、裁判官も事実の認定ができるはずである。それらを排斥し、強引に審理を打ち切ったのは、乱暴である。原告の弁護団が「司法権力の乱用だ」と反発したのも理解できる。

 判決では「不安は抽象的」「自衛隊の海外派遣の蓋然(がいぜん)性はいまだ低い」などとの言葉が並んだ。しかし、この訴訟の核心は法律そのものが違憲か否かという点だ。

 政府答弁の矛盾に加え、安保法制の合憲性の裏付けとしている「砂川判決」にも致命的な問題がある。駐留米軍に関する一九五九年の最高裁判例である。ここで確かに固有の自衛権を持つと明示した。だが、あくまで個別的自衛権であるのは常識である。集団的自衛権はここでは全く問題になっていない。さらに判例には「一見極めて明白に違憲」ならば、行政行為を「無効」とできると踏み込んだ表現もある。だから、裁判官は「一見極めて明白に違憲」かどうかのチェックが求められるのではないだろうか。

 憲法との整合性への検討が全く見られない。むしろ判断を回避する理屈を駆使しているように感じる。司法に期待される役割の放棄とも受け止める。自衛隊のイラク派遣訴訟で、二〇〇八年に名古屋高裁は「平和的生存権は基本的人権の基礎で、憲法上の法的な権利」と認めた。今回はそれを「具体的な権利と解せない」と後退させた。納得できない。

 判決の根底には、司法は政治的問題に関わりたくないという消極姿勢がありはしないか。あと全国二十四の裁判所の判断が残る。三権分立の基本を踏まえれば、司法権こそ個人の権利侵害の訴えに誠実に向き合うべきだ。

 

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