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【私説・論説室から】

青ざめた日高さん

 バブル崩壊後の混乱を振り返る文書を読んでいて、一九九二年危機のくだりにあの日を思い出した。

 株価急落による最初の危機、九二年八月十八日。夏の暑い日だった。大蔵省担当だった私は、たびたび取材に訪れていた総務審議官の日高壮平さんの部屋に入った。

 八九年に四万円近くまで上昇した株価は下落を続け、この日、一万四〇〇〇円を割り込みかねない水準まで急落。信用不安が広がっていた。

 部屋に入って驚いた。気丈でいつも強気の日高さんの顔が、明らかに青ざめていたから。日高さんは宮沢喜一首相と大蔵省の政策調整の要。そしてこんなことを口にした。

 「ここまで下がるとやらざるを得ないね」

 株価対策だと受け止めた。が、実は最初の公的資金投入が準備されていたことを後になって知った。宮沢首相が夏休みの軽井沢から急きょ帰京して株式市場を閉鎖。一気に公的資金を投入して金融機関の不良債権処理に着手する…。

 だが政治決断は遅れ、危機は繰り返した。公的資金の本格投入が実現したのは十年後、小泉内閣になってから。それを見届けるように〇四年、日高さんは六十三歳で急逝した。バブルは三十年の低迷と就職氷河期に姿を変え困難は続く。日高さんの青ざめた顔がその深刻さと重なって見える。 (安田英昭)

 

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