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【私説・論説室から】

光格天皇の祈りは

 現在の天皇家は、江戸時代の光格天皇の血統を継いでいる。後桃園天皇に男子がいなかったため、閑院宮家という宮家から天皇の養子になり、皇位に就いた人である。その後、仁孝、孝明、明治、大正、昭和とつながる。だから“光格系”の血筋といえる。

 この光格天皇の時代を調べると、ちょうど「天明の大飢饉(ききん)」と重なる。一七八二(天明二)年から始まる江戸時代で最悪の飢饉である。死者数は百万人とも。大洪水や地震、浅間山の大噴火などが原因とされる。世界的な異常気象だったともいわれる。

 苦しむ民衆が京都御所の周囲を巡り歩く「千度参り」が起きた。八七(天明七)年のことだ。その数や三万人から七万人にも上ったという。事態を深刻に思った光格天皇は、幕府に対し窮民の救済策を求めた。幕府は米千五百石を放出せざるを得なくなった。

 天皇の歌だと評判になったのが「身のかひは何を祈らず朝な夕な 民安かれと思ふばかりぞ」−。自分のことでなく、民の安寧を思うばかりだ−の意味だ。でも、どうやら天皇の歌ではないらしい。それだけ民の心が集まった証左なのだろうか。

 平成の世も災害が多かった。阪神と東日本の大震災があった。自然災害で各地を回った上皇さまは、光格天皇の事績をよく調べられていたのではないか。有名な歌も胸に。 (桐山桂一)

 

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