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【私説・論説室から】

「化石」となるよりは…

 この夏、絶滅した古生物の謎に迫る「恐竜博2019」(国立科学博物館)と「マンモス展」(日本科学未来館)を続けて見た。

 二・四メートルもの長い腕を持つ恐竜デイノケイルスの全身骨格、円形の牙のほか皮膚や肉まで残したマンモスの冷凍頭部など展示物はみな圧巻。数千年〜数千万年前の生物の営みに想像を遊ばせるには申し分ない内容だった。

 その中で気付いたのは、これらの生物の多くが、何らかの天変地異で生きたままか、死の直後に地層の中に閉じ込められた事実だ。それゆえ、当時の姿形から動作までリアルな生態を今に伝える。けれど、生物たちにとっては無念?の最期だったのではなかろうか。

 かつて訪れたイタリアのポンペイ遺跡のことも思い出した。ベズビオ火山の大噴火に伴う火砕流の中、子をかばいながら死んでいった母親らの姿が石こう型となっていた。

 火山といえば、わが故郷の浅間山が八月、小噴火を繰り返した。数年おきのことだから住民はさして驚かない。ただ、気象庁は今回の最初の噴火について、火山性地震の増加など確かな前兆がなかったと説明した。ベズビオ級の大噴火も突然起きるかもしれない。

 住民や登山者は、迅速な避難の大切さを常に頭に置かねば。ポンペイの悲劇にも以前の噴火への人々の油断があったと聞く。誰だって逃げ遅れ、埋もれて後年の研究に資するなんて真っ平に決まっている。 (白鳥龍也)

 

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