東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 文化 > ニュース一覧 > 記事

ここから本文

【ニュース】

「女は才能なし」アート界の非論理性 あいちトリエンナーレを変革の一歩に 〈寄稿〉吉良智子さん

 八月一日から、出品作家のジェンダー平等を掲げた「あいちトリエンナーレ」(名古屋市などで開催)が始まった。これを機に、現代のアート界におけるジェンダー不平等について、歴史的な視点から振り返るのもいいだろう。

 現東京芸術大学の前身である戦前の東京美術学校は男子校だった。そもそも女性は国立の機関で美術教育を受ける権利がなかった。現女子美術大学の前身である私立女子美術学校などの一部の私立校や私塾が、女子学生の受け皿だった。

「あいちトリエンナーレ2019」の注目作の1つ、メキシコのモニカ・メイヤーさんの作品。参加者が匿名で、日常生活で感じる抑圧について書いた紙をつるして展示する=名古屋市美術館で

写真

 戦後、芸大は男女共学となり法的な教育機会の平等は達成され、これをもってアート界の男女平等は果たされたかに見えた。しかし、あいちトリエンナーレの芸術監督津田大介が指摘するように、女子学生や女性学芸員など、アート界全体を見渡せば女性が多いにもかかわらず、大学の教員や館長などヒエラルキーの上層は男性が占めている。つまり法的な権利を得ても、なお残された問題が存在するということである。

 家父長制社会における性役割の意識は、当然アート界にも強力に作用している。「見る主体としての男性」と「見られる客体としての女性」という性役割は、そのまま男性作家と女性モデルの組み合わせと重なり、女性作家を創造者とみなしにくい環境を作り出す。さらに男性中心の社会では、彼らの好む「女性らしい」作品が女性作家に求められる。一方、男性の作品が評価基軸となって、彼女たちの作品は排除されていく。そしてこの社会では、一般的に「男は外で働き、女は家庭を守る」ことをよしとする傾向がある事実は指摘をまたない。

 このような状況は男性中心の社会構造が生み出した結果であるにもかかわらず、「女性には芸術的才能がない」という非論理的な説明がまかりとおってきた。

モニカ・メイヤーさんは「表現の不自由展」の中止問題に抗議し、自作の展示中止を求めている

写真

 こうした言説は現代においても基本的に踏襲されているといってよいだろう。美術の評価基軸そのものが男性優位にできている。たとえ女性学芸員であってもこの構造に無自覚であれば、そこにくみすることになる。学芸員が展覧会の企画で、現代社会への感受性の高さを基準に作品を選定したとしよう。もし「自然に」男性作家が多くなったとすれば、それは女性作家の感受性が低いのではなく、女性の側から見た社会的・政治的関心が、男性および「名誉男性」の学芸員には見えないからである。

 また、出産育児などの経験が女性作家の作品にプラスになる、という意見がある。戦前から続く典型的な言説である。しかし、結果的にプラスに働いたとしても、それは育児を担わざるを得ない状況から生み出されている。女性が作家であり続けることを困難にする要因でもあり、多様なロールモデルの育成も阻んでいるという視点が必要だろう。

 繰り返すが「女性作家に芸術的才能がない」のではなく、非対称なジェンダー構造が評価の不平等をもたらしている。また、女性学芸員の数が多くても、将来的に管理職クラスの女性が「自然に」増えるかどうかは、一般企業における管理職の男女比率問題が一向に解決されないのと同様に、楽観視はできないだろう。

 現代のアートの枠組みは、近代になって西欧をモデルに創られたものである。歴史の中で創られてきた構造やシステムは変えることができる。#MeToo運動など、女性の声が各所からあがってきている現代において、アート界だけが特別でいられるわけがない。あいちトリエンナーレがその大きな一歩になることを願っている。

 (きら・ともこ=ジェンダー・美術史研究者。著書に『女性画家たちの戦争』など)

吉良智子さん

写真
 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報