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<国語教育に文学は不要か>(下) 「教養の格差が不安定を生む」作家・法政大教授 中沢けいさん

作家の中沢けいさん

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 −高校の新学習指導要領の国語をどう見ていますか。

 今までの国語教育は、小説、詩、評論、エッセー、日記などいろいろなジャンルの文学作品を読んで、言葉を使うことのおもしろさを学んできたというイメージを持っていました。不都合は感じていなかったので、今回の議論は当惑しました。もっと話し合った方がいいと思っています。

 そもそも契約書やマニュアルなどの実用的な文章は、基本的には義務教育を終えたら読めるように書くのが理想ですから、点差が出る大学入試問題を実用文で作るのは想像できません。

 −実用性が求められる背景は?

 平成の三十年、感情への無関心が社会的に広がっていることが一因という感じはします。お店の人が昔は好きなお客さんにおまけして、嫌いだと思うと値段をふっかけるような、感情のやりとりがある世界で生きていました。でも今はコンビニに行って、かごをレジに差し出すと、店員さんが型通りのあいさつをしてポスシステムでお勘定してくれます。このお客は嫌いだからカレーパンの値段を倍にしようとは思わない。

 感情を考えなくてもいい社会をつくってきた。感情の波のない方が、コンスタントに仕事ができる。受験勉強でも経験しているはずです。

 −文学は感情と密接に関わりますね。

 二十世紀後半の文学は関係の文学とも言われたくらいに人間関係を描くことを主流にしていました。感情は時代によって変化するので、そのたびに言葉を新鮮なものにあらためていく必要があった。時代を代表し、かつ普遍性をもった作品が古典として残されます。

 人生の中で壁にぶつかって、よそに逃げたい時に、古典は大変ありがたい。千年前にも困っていた人がいたんだね、とか人間の感じ方にはこんなに変化があるんだとか、視野を広げてゆっくり呼吸できるようになる。精神の形成の問題で、頭の中の畑を耕している感じです。ゆっくり耕してからの方が、芽はよく出ます。

 −国語から文学が減ると、どうなっていくでしょう?

 教養の格差が生まれる可能性があると思っています。国語で読む教材は知識や勉強の土台になり、学問や芸術など興味を持つ範囲が生まれます。エリート教育をしているような高校は、規定の授業はさっさと済ませて、先生がお考えの教材を使って勉強していくでしょうから、中間層の教養との間に亀裂が走る。

 日本は一九四五年以降、比較的安全な社会と言われてきました。その背景に識字力の高さと、文学を中心にした読書人口の広がりがありました。それがなくなると、社会的な不安定を生み出すような気がしています。

 −希望はありませんか。

 いつの時代もへそ曲がりはいます。だめと言われるとやりたくなる。学校で教えてくれない楽しい本の読み方を発見し、前の時代には考えられないような豊かな詩を口承文芸として、一九七〇年代のシンガー・ソングライターはつくりあげた。井上陽水や中島みゆきは、教科書に載るようになりました。あるいは、政治家のいい演説に魅力を感じる人が出てくるかもしれない。教育の外で日本語を豊かにしていく動きが起こる可能性は高い。

 ただ、文芸は根っこに詩(ポエム)を持っていて、ポエムは東アジアの儒教の文化の強い社会では祈りにつながっています。国語教育を実用的な論理国語化したときに、それがどういう形で社会に姿を現してくるのかは分かりません。

(なかざわ・けい)1959年生まれ。作家、法政大文学部日本文学科教授。

(2019年9月18日夕刊文化面に掲載)

 

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