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【土曜訪問】

テノールから転向して8年 道なき道を切り開く 藤木大地さん(カウンターテナー歌手)

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 二〇一七年四月、オペラの殿堂ウィーン国立歌劇場で東洋人初のカウンターテナーとしてデビューを果たした。昨年十月にはアルバム『愛のよろこびは』(ワーナー)でCDメジャーデビューし、タイトルにもなった曲は村上春樹原作の映画「ハナレイ・ベイ」の主題歌に。年末に東京・紀尾井ホールで開いたリサイタルは大成功−。今、注目のオペラ歌手、藤木大地さん(39)に話を聞いた。

 女性のアルトの声域を男性が裏声で歌うカウンターテナーは、日本では一九九〇年代に映画「もののけ姫」の主題歌を歌った米良美一(めらよしかず)さんや、世界的なブームになった歌手スラヴァさんによって広く知られるようになった。女性的で妖(あや)しい魅力の歌声という印象があるが、藤木さんは違う。大地からわき上がるような熱い生命感をたたえる歌声だ。「『性差を意識させない』とよく書かれますが、自分ではカウンターテナーって意識はしていなくて、自分という楽器が持っている一番美しい声で歌おうと思っています。名前は何でもいいんです」。かつてテノール歌手として活動し、八年前にカウンターテナーへ転向した彼の突き抜けた境地だ。

 一九八〇年、宮崎県で生まれた。「初舞台は幼稚園のお遊戯会で歌った『ほしがルンラン』です」と言うと、それを口ずさんだ。中学時代は美しい声を見込まれて合唱部に誘われ、野球部と掛け持ちで活躍した。合唱の全国大会にも出場し、文化祭では独唱も披露。<僕が音楽を志したきっかけは、目立ちたかったからでした>とリサイタルのプログラムに書いている。

 高校は県内一の進学校に。マスコミ志望だったが、数学でつまずき、どうせ苦労するなら好きな道をと、音楽大志望に切り替えた。親族に音楽家はおらず、家にピアノもない。同級生が補習をする早朝の学校でピアノを練習し、夜は隣家のピアノを借りた。当時から今に至るまで藤木さんは道なき道を自ら切り開いていく。参加していた市民合唱団のつながりで個人指導を受けていた声楽家から東京芸術大の受験を勧められ、教授のレッスンを受けるために毎月、上京するように。九州から同じ師のもとへ通い、コンクールでも競い合ったのが、ミュージカルスターの井上芳雄さんだ。ともに現役で同大声楽科に合格した。

 藤木さんがオペラの本場の舞台に立てる「メジャーリーガー」になりたいと思い始めたのは卒業後、新国立劇場オペラ研修所で学んでいたころ。大学の先輩のテノール歌手がミラノ・スカラ座でデビューするなど、国際舞台で歌う日本人を目の当たりにして、自分もイタリアに留学すれば道は開けるだろうと渡航した。だが、願うような歌声にはなれず、オーディションにも落ち続けた。

 帰国後は、歌をやめようか迷いながらオペラの裏方の仕事を模索し、今度は文化経営学を学ぶためにウィーン国立音楽大大学院に留学。歌う仕事もほそぼそと続けていた二〇一〇年夏に風邪で地声が出なくなり、窮余の策で試した裏声が周囲の称賛を得た。テノールに比べ活躍の場が極端に限られる狭き道だったが、カウンターテナーで歌い続けることを決意した。

 一一年に転向し、翌年の日本音楽コンクールの声楽部門で優勝。一三年にはイタリア・ボローニャ歌劇場でデビュー。そしてウィーン国立歌劇場と、その後は順調な歩みに見えるが、風邪をひいてひと月ほど声が出なくなり「また元に戻ってしまうのかな」と落胆したこともあった。「歌は心も体も健康でないと歌えない。明日どうなってしまうかは誰にも分からないから、後悔のないように今、歌いたい歌を選んで歌っているんです」

 ウィーンの公演で成功を経験して「準備をしていい音楽をすれば、ちゃんと伝わるはずだ」と他人の評価を恐れなくなった。周囲からは次はスカラ座かニューヨークのメトロポリタン歌劇場かと期待が集まる。「今一生懸命にいい演奏を積み重ねることで、その先に大きな劇場があったらうれしい。そのためにオーディションへの挑戦は続けます」 (矢島智子)

◆藤木大地さん出演情報

【3月9日】トウキョウ・ミタカ・フィルハーモニア第78回定期演奏会(三鷹市芸術文化センター 風のホール)

【3月22・23日】大阪フィルハーモニー交響楽団第526回定期演奏会(フェスティバルホール)

【4月13日】東京・春・音楽祭2019 東京春祭 歌曲シリーズvol.27藤木大地(東京文化会館小ホール)

 

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