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【土曜訪問】

日本語 消滅する前に 古典研究の著作集を刊行中 山口仲美さん(日本語学者)

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 天井まである本棚が何列もぎっしり詰まった空間に、思わずうめいた。部屋の住人は、古典文体研究の第一人者として知られる埼玉大名誉教授・山口仲美さん(75)=東京都。現在、研究生活の集大成となる全八巻の著作集刊行を進めている。膨大な本は、言葉をめぐる独創的な取り組みの原点を思わせた。

 「あなたの書かれた記事はないんですか。読みたい」。取材を申し込んだら、こんな返事が来た。文章を読めば、書き手の性格が分かるのだという。私の記事も、読んでずばり。「勉強家ね」。愉快そうに「どう、当たってた?」と笑う。

 おちゃめな“女子っぽさ”がある。ピンク色のセーター姿で、お茶を手にしながら弾(はじ)けたおしゃべりを繰り出した。「講義でもストレートに『(この文章の意味は)エッチすることよ!』なんて説明するから、学生がびっくりしちゃう。だけど辞書的な解説してもつまんないじゃない」

 文体研究は、古今の文献から、言葉の使用頻度や癖を分析し、作者や作品の成立事情を探る。ワンワン、ドンドンなど「オノマトペ」(擬音語、擬態語)の研究でも草分け。ひたすら拾い出して語型を分類し、変化の歴史を調べてきた。

 活躍は、学術の世界にとどまらず、テレビの教養番組などに登場することもしばしば。そのたびに下ネタを飛ばしながら、古典を解説する。

 静岡県熱海市生まれ。日本語学者を志して大学で学んだ一九六〇年代は、女性がまだまだ認められていない時代だった。指導教官は「女の研究者は要らない」。博士課程への進学を許されず、六九年、東京から岐阜の聖徳学園女子短大(当時)に、教員として就職した。「文字通り下向いて石ころ蹴ってた。でも、研究やめることもできなかったのよね」

 大学院の修士課程で研究を始めたオノマトペも、当時は未開の分野。濁点表記がない平安時代の犬の鳴き声「ひよ」をそのまま読ませる校注に「鳥じゃあるまいし」と違和感を覚えて調べた。ただ当時は幼児語の扱いで「研究するまでもない」と言われたこともあった。

 だが、オノマトペの圧倒的な豊富さは、日本語の特色でもある。ある調査によると、日本語のオノマトペは、英語(約三百五十種)よりはるかに多い約千二百種。オノマトペで絵を補う漫画は「日本語だったから表現が豊かになった文化」の好例に挙げる。翻訳できないためそのままローマ字で表記する例も多く、日本語がそのまま世界に輸出される。

 研究を続けると、同じ動物の鳴き声でも人間との関係性によって歴史的変遷があったり、語型に法則があったりと、新しいことが次々と分かった。「小さくても深く掘り下げると、他の人には見えない世界が見えてくる。そういう穴が増えると、あるとき横穴がつながったりして全体が見えるのよ」。結果にとらわれず地道に続ける姿勢は、学術賞の金田一京助博士記念賞(八四年)などに結実する。

 研究成果を易しく解説した新書『犬は「びよ」と鳴いていた』(二〇〇二年刊)がベストセラーになったほか、『日本語の歴史』で〇七年の日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。文筆活動も、多方面に展開してきた。

 著作集(風間書房刊)は、ピンクが基調のおよそ学術書らしからぬ装丁。現在三巻まで出ている。専門知識が必要な堅い学術論文が交じるが、一般の読者に楽しめる内容のものも多い。

 研究について面白おかしく発信してきた理由は「日本語を使う人たち自身に、考える基盤を提示したい」からだ。世界に数千あるとされる言語も、日々消滅し続けているらしい。「日本語だって、使う人が大事に思わなきゃ末路は同じ」。言葉によって生まれえた感覚や精神、文化を残すべく「日本人よ、日本語を知ろう、と思うの」。

 面白いと思う人が増えれば、残そうと思う人も増えるはず。下ネタ交じりの解説も「やりすぎてよく怒られちゃうの」と言いながら、改まりそうにない。 (松崎晃子)

 

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