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【土曜訪問】

通じ合う糸口探して 『天冥の標』全10巻が完結 小川一水(いっすい)さん(SF作家)

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 八百年後の人類はどうなっているだろうか。地球を飛び出して宇宙で暮らしている?相変わらず差別や偏見の問題に悩んでいる? あるいは滅亡寸前に陥っている?

 想像力を駆使し、はるか未来までの人類の転変を描いた小川一水(いっすい)さん(43)の大河SFシリーズ『天冥(てんめい)の標(しるべ)』(ハヤカワ文庫)が、三分冊の第十巻『青葉よ、豊かなれ』で完結した。致死性ウイルスのパンデミック(世界的大流行)、宇宙戦艦が派手な砲撃戦を繰り広げるスペースオペラ、銀河系外の生命体とのコンタクトなど、SFのあらゆるジャンルがてんこ盛りの宇宙叙事詩、その執筆にかけた十年間の思いを聞いた。

 第一巻『メニー・メニー・シープ』の舞台は二八〇三年。地球から遠く離れ、資源の乏しい植民星ハーブCでは、世襲制の支配者が圧政を敷いていた。蜂起した市民らが体制を打破しようとしたとき、とてつもない災厄が巻き起こる。

 続きが気になって第二巻『救世群』を手に取った読者は驚くことになる。時代は二〇一〇年代の地球へと巻き戻り、原因不明の感染症と闘う医師や患者たちの活劇に転じるのだ。その後も、官能小説と見まがうほど性愛をテーマに据えた第四巻、宇宙の中小農家の悲哀を描いた第五巻と、時代も星も形式も移しながら物語は展開していく。そして第六、第七巻と読み進めるうちに無数の伏線がつながり、ハーブCへと至る人類の来歴が明かされる。

 何とも壮大な仕掛けだが、大まかな構想は二〇〇九年のシリーズ開始前からできていたという。「編集者に『できることを全部やってほしい』と言われたのが執筆のきっかけ。十年もかかるとは思わなかったが、当初頭にあった通り、自分でもびっくりするほど、ほぼ完璧にできました」

 シリーズを貫く大きなモチーフとなっているのが、「冥王斑(めいおうはん)」という病気だ。感染すると極めて高い確率で死に至り、回復しても患者からは強い感染力が失われないという設定。隔離された患者たちは激しい差別にさらされ、東太平洋の孤島へ、やがては宇宙の僻地(へきち)へと追いやられる。そうして数百年にわたって募らせた遺恨が、太陽系全体に大きな悲劇をもたらす。

 宇宙規模の物語だが、一貫して描かれているのは、人類の誕生以来、解決することなく続く「差別」の問題だ。「はじめから意識したわけではないが、書きながらだんだん、これはマイノリティーの話だと分かってきた。結果として、自分たちは虐げられていると自覚して世の中を見ている人たちと、彼らを包む普通の人たちの話になった」

 作中では、もつれにもつれた憎悪の糸を何とか解きほぐそうと、互いの利害の一致点を模索する人々の営みが描かれる。「分かり合えない他者とどう付き合うか。現代人なら皆、身につまされる問題のはず。ずっと考え続けなければいけないことだと思っています」

 最終巻に至り、登場人物たちは人類をはるかに超える知性を持つ群体型生物や植物型生物との意思疎通に乗り出す。人間同士でも分かり合えない時はあるが、触れ合う糸口は必ずあるはずだと、著者は強く信じている。

 二十一歳でのデビュー以来ずっとSF畑を歩み、今や第一人者としての地位を築いた。「男女がひっくり返る、地球から空気がなくなる。そういうあり得ないことを言っても一笑に付されず、とりあえずそこから始めてみようとなるのがSFの良さ」と熱弁する。「まじめに考えなければいけないことを笑い話にしたり、ばかばかしいことを真剣に考えたり、その場の空気と反対のことをやっていくのがSFの仕事ではないか」

 全十巻・十七冊という大部作を書き終えた心境を尋ねると、こんな答えが返ってきた。「ものすごく高い山を登って、ああ肩の荷が下りたという感じがしばらくあったが、山を下りながら振り返ると、ちょっときれいに収めすぎたかなという気もしてきた。次はもっといびつで荒々しい、変な話でもいいかな」。どんなあり得ない光景が待っているのか、読者の楽しみは尽きない。 (樋口薫)

 

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