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【土曜訪問】

軽やかに生命を詠む 91歳『俳句集成』を刊行 柿本多映さん (俳人)

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 <三井寺(みいでら)や日は午(ご)にせまる若楓(わかかえで)    与謝蕪村(よさぶそん)>

 五月末、およそ二百四十年前に俳人・蕪村が詠んだ世界に、同じ俳人である柿本多映(たえ)さん(91)を訪ねた。琵琶湖を望む大津市・長等山(ながらやま)の中腹で千三百年余の歴史を刻む古刹(こさつ)。多映さんはここで生まれた。父は天台寺門宗の総本山園城寺(おんじょうじ)(通称三井寺)の第百六十一代長吏(ちょうり)(宗門の長)。境内には俳聖・松尾芭蕉(ばしょう)の句碑<三井寺の門たたかばやけふの月>もある。俳句の道に導かれるべくして導かれた人なのだろう。

 だが、目の前に現れた多映さんは、伝統的な俳人のイメージや年齢の先入観さえ覆した。「おしゃれが大好き」と赤と黒のメガネにキャップ、真っ赤なセーターに黒のカーディガン、白黒のパンツという攻めのファッション。この人にはこんな作品があったことを思い出した。

<末黒野(すぐろの)をゆくは忌野清志郎      柿本多映>

 この春、これまでの創作の集大成である『柿本多映俳句集成』(深夜叢書(そうしょ)社)を刊行した。編集を請け負ったのは佐藤文香(あやか)さん(34)、関悦史(えつし)さん(49)という俳句の新時代を切り開く二人。祖母と孫ほど年の開きがあるが「文香さんは一番のお友達」という。結社に属さない多映さんの目線は驚くほど対等だ。自ら主宰しようと思わなかったのですか、と尋ねると「全然! そんな時間があったら俳句を作りたい」と笑い飛ばした。

 若いころは短歌の会に参加していたが、俳句を始めたのは五十近くになって。毎日新聞の記者だった夫の転勤で大津に戻った後、女学校時代の友人から地元の俳句教室に誘われた。講師は、かつて「前衛俳句の旗手」と呼ばれた赤尾兜子(とうし)(一九二五〜八一年)が主宰する「渦」の同人。兜子が夫の新聞社の後輩だったことから、兜子の指導も仰ぐことになった。「感性がぴったり合った」という兜子に天賦の才を引き出され、兜子亡き後は橋〓石(かんせき)(〇三〜九二年)と桂信子(一四〜二〇〇四年)に師事した。

<真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ>

<国原の鬼と並びてかき氷>

 第一句集『夢谷(ゆめたに)』(一九八四年)の序文で桂は、多映さんの句作を「心にうかんだことを書きとめてゆくだけで、すぐれた俳句になった」と指摘。跋文(ばつぶん)では〓石が多映さんの随筆を引いて、その本質を突いた。

 「…夜きまって五、六匹の山蟻(やまあり)が台所に餌を求めてやってくる。(中略)翌朝までゴミ袋の中でうっとりという光景もあるから楽しい。芥(あくた)と共に焼かれては大へんと丹念に探し出し、掌(てのひら)に囲んで外へ連れ出す…」

 堤中納言(つつみちゅうなごん)物語の「蟲愛(むしめ)づる姫君」のようだが、〓石は「果てしない時間と空間につながる根元的な霊の働きが感じられてならない」と書いた。

 多映さんの句には蝶(ちょう)をはじめとする昆虫や動物が頻繁に登場するが、単なるモチーフではない。

<転生(てんしょう)いま落葉の下のきりぎりす>

<冬の猫兄としりつつ懐(ふところ)す>

<人の世へ君は尾鰭(おびれ)をひるがへし>

<転生の力瘤(ちからこぶ)かな蟇(ひきがえる)>

 生まれ変わり姿は変えても、魂の器である存在は皆等しいという信念がそこにはある。

<はらからに僧正(そうじょう)二人さくら咲く>

 長兄は早世したが、次兄、三兄は父の後を継いで長吏となった。父は多映さんの心根を「この子が男だったら、いいお坊さんになっただろうに」と漏らしていた。

 「幼い女の子がそのまま大きくなったみたい」と一人息子(66)に言われる多映さんだが「死が隣になってきた」と自覚するにつれ、作品に諧謔(かいぎゃく)味が増してきた。

<衰への力鮮(あたら)し山桜> 

<山姥(やまんば)の齢(よわい)いろいろ桃の花>

<冬桜湯に浮く乳房あるにはある>

<おくりびとは美男がよろし鳥雲に>

 多映さんにとって生命の象徴であった「桃」も、最近こんなふうに詠んだ。

<比良坂(ひらさか)へ桃を放りて長生きす>

 (矢島智子)

※〓は門がまえに月

 

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