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【土曜訪問】

追い詰めるのは誰 虐待事件から着想 『つみびと』刊行 山田詠美さん(作家)

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 大阪市で二〇一〇年、当時二十三歳の母親が自宅マンションに三歳と一歳の姉弟を放置し、餓死させた事件。子どもたちを置いて遊び歩いていた母親の身勝手さが明らかになるにつれ報道は過熱し、世間の非難が集中した。山田詠美さん(60)の新刊『つみびと』(中央公論新社)は、この事件から着想を得て書かれた小説だ。想像力を武器に事件と徹底的に向き合い、「もうこれ以上は書けないというところまで書けた」と手応えを語る。

 三十年以上のキャリアで現実に起きた事件を題材とした小説は初めて。なぜ、この事件を書いたのか。なぜ、ここまで書かなければならなかったのか。そう聞かずにいられないほど、物語は母親をモデルにした登場人物・蓮音(はすね)の内面に深く分け入っていく。

 「確かに同情の余地がないほど悲惨な事件でした。どのコメンテーターもキャスターも、勧善懲悪というように母親を糾弾していた」。その報道に違和感を覚えたという。「分かれ道で選択を誤り、転落するように人生がどんどん狂っていくことって、誰にでもあることだと思ったんです。そうした想像力を働かせて物を言っている人は見当たらなかった」

 数年たち、ずっと心に残っていたこの事件について「書く意味がある」と腹を決めた。「彼女は『鬼母』と呼ばれ、人間ではない扱いを受けた。でも一人の人間なんです。どうしてあそこまで行ってしまったのか、それを書くのはノンフィクションよりも小説の仕事だと思った」

 物語は蓮音、その母・琴音(ことね)、四歳の長男・桃太(ももた)、三人の視点から交互に描かれる。山田さんの作品といえば、既存の価値観に縛られない登場人物たちの自由闊達(かったつ)な言動に小気味よさを感じるファンが多いだろう。だが、本書にそうした描写はほとんどない。どのパートも読んでいて胸がふさがる。それでも、ページを繰る手が止められない。

 琴音は父から暴力、義父から性的虐待を受け、そのトラウマ(心的外傷)から成人後、まだ幼い蓮音たち家族を置いて逃げ出してしまう。弟や妹の面倒をみることになった蓮音は、世間体を気にする父親に抑圧され、人への頼り方を知らずに育つ。大学生の音吉と結ばれ、一度は幸せをつかむが、次第に歯車が狂っていく。

 大阪の事件後、多くの人が「母親はなぜ誰かを頼らなかったのか」と嘆いた。本書では、蓮音が「なぜ頼れなかったのか」を描き出す。その筆は同情も糾弾もしない。悲劇に至る過程を丁寧に積み重ね、「書けば書くほど登場人物の深いところに入っていく感じがあった」という。

 育児ストレスから夜遊びを繰り返す蓮音が、自らを責めたてる父親や義母のことを<正論の人たち>と呼ぶシーンが印象的だ。「こうした事件の裏には、良識を振りかざし、親を虐待へと追い詰めてしまう人々の存在がある。その良識というものが幸せには全くつながらないことに彼らは気づかず、事件の一端を担った自覚もないことが多い」

 ならばこうした事件に接し、義憤に駆られたように犯人をつるし上げる私たちもまた、<正論の人たち>なのではないか。その疑問に、作家はうなずく。「この人たちは自分とは関係ないと思うことは簡単です。そうやって、たやすく他人を糾弾してしまう人は、自分もそうした立場になる瞬間が来るかもしれないという想像力が全く働いていないんだと思う」

 読むのが一番つらかったのが、妹・萌音(もね)と餓死しつつある桃太の視点の文章だった。熱暑の室内で衰弱しながら、母との幸せな記憶を懸命に手繰ろうとする。そのけなげさに思わず涙がこぼれた。作者も書きながら苦しかったのでは。そう尋ねると「全然つらくないです」。きっぱりとした答えが返ってきた。

 「むしろ子どもたちに降り掛かった理不尽さが浮き上がるよう、素朴な絵本のように書くことを心掛けました。冷静に、冷酷にさえなって、どんなに目を背けたいものもきっちりと見て書くことが、小説家の仕事です」

 その言葉は作家としての矜持(きょうじ)に満ちて、いつもの山田作品の主人公のようで、格好良かった。 (樋口薫)

 

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