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【土曜訪問】

われ以外みなわが師 公式戦通算1300勝、喜寿を迎えた 大竹英雄さん(囲碁・名誉碁聖)

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 獲得タイトル数は名人四期、碁聖七期など歴代五位の四十八。「大竹美学」と呼ばれる感性豊かな棋風で知られる天才肌の大棋士である。平成も残りわずかとなった四月二十五日、日本の囲碁界では史上四人目となる公式戦通算千三百勝を達成。令和に入ってまもない五月十二日に喜寿を迎えた。今年は、呉清源(ごせいげん)九段とともに昭和囲碁界をけん引した師匠・木谷実九段の生誕百十年にも当たる。「いろいろな方との出会いに恵まれて、今の私がある。感謝の思いでいっぱい」と、淡々とした口調で六十余年の棋士人生を述懐する。

 過去千三百勝を達成した三棋士とは深い縁(えにし)で結ばれている。呉九段の弟子で同年同月生まれの林海峰(りんかいほう)名誉天元は、大相撲の両横綱、大鵬・柏戸の「柏鵬(はくほう)」になぞらえ、「竹林(ちくりん)」と称されてシノギを削った仲。林名誉天元は史上最年少(当時)の二十三歳で初の名人位に就き、その三年後には本因坊位も獲得した。しかし、こうして差をつけられた時も、悔しさ、あせりは感じず、「自分の身近にこんな素晴らしい棋士がいてくれたと、ただただ喜びしかなかった」と明かす。

 残る二人は、趙治勲(ちょうちくん)名誉名人(63)と小林光一名誉棋聖(66)。両者とも木谷門下の弟弟子で、タイトル戦の番勝負で激闘を繰り広げてきた。両後輩に苦杯を喫した時も、「悔しさはなく、さすがだと、負かされた喜びを感じた」と振り返る。

 「一番のライバル、強敵は自分自身。自分に勝つことは本当に難しく、この年になってもまだ勝てません。努力型じゃないんだね、基本が…。だから相手が強ければ強いほどうれしい。自分も少しは追い付きたい、離されないようにしたいと頑張れますから」

 一九七五年、名人戦史上初めて木谷道場出身者同士の争いとなった七番勝負で弟弟子の石田芳夫九段(70)=二十四世本因坊秀芳=を下して初の名人位を獲得。師匠の木谷九段は一カ月後に病で世を去った。八〇年からは碁聖戦六連覇の偉業も果たしている。

 九歳で北九州市の親元を離れ、数多くの俊英を輩出した木谷道場(神奈川県平塚市)に入門。個性豊かな弟子仲間と切磋琢磨(せっさたくま)する中で、「自分の芸を磨くと同時に、相手の芸を敬う気持ちを持つこと」の大切さを学んだという。「われ以外みなわが師、の精神です」

 碁盤に打たれた一つ一つの碁石がしっかりと自己主張しているのが一番−こんな理想を抱いて「碁盤に絵を描く」イメージで、手厚く、石の形を重視して打ち進める棋風は、いつしか「大竹美学」と称されるようになった。鋭い棋風で“カミソリ坂田”の異名を取った故・坂田栄男九段=二十三世本因坊栄寿=は「大竹美学」の神髄を「無理なく、無駄なく、美しく」と形容している。「碁盤に恥ずかしい手、碁盤を汚すような手は打ちたくない。大切なのは勝ち負けよりも中身」と力をこめた。

 二〇〇八年十二月から三年半余、日本棋院理事長を務めて棋界発展の先頭に立った。今や世界百五十カ国以上に普及して国際競技となった囲碁。国際棋戦の際には韓国、中国など海外の若い選手に「多くの人から愛される棋士になってください」と声を掛けているという。ただ強いだけでなく、人格も優れた立派な棋士を数多く育てることが「囲碁界の地位向上につながる」との信念からだ。囲碁を通じた世界平和にも熱い思いを抱く。「微力ながら、これからも、少しでもお役に立てれば…」

 院生として修業時代、院生師範を務めてくれた杉内雅男九段は一七年に九十七歳で亡くなるまで現役を貫いた。大きな刺激を受けていることだろう。「美しい棋譜をつくることは棋士の特権であり、義務でもある」という。碁石を打った順番が記された棋譜は、対局者二人の“共同作業”による作品だ。「棋譜は勝敗と違い、百年、千年たっても残る。高齢になっても、こんな碁が打てたのか、と後の世に言ってもらえるような美しい棋譜をつくりたい」と思いを熱く語る。

 揮毫(きごう)を求められると、好んで「石心」と書く。石の心にもしっかりと耳を傾ける。「大竹美学」を象徴する言葉に違いない。 (安田信博)

 

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