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【土曜訪問】

「信頼」は裏切らない 小説『トランスファー』を出した 中江有里さん(女優、作家)

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 女優、作家、コメンテーター…と幅広く活躍する中江有里さん(45)が、小説『トランスファー』を出した。派遣で働く玉青(たまお)と病院で寝たきりの洋海(ひろみ)。現代に生きる姉妹の内面が、とあることから入れ替わり、それぞれの生が浮き彫りにされる。まるでドラマを見ているかのように映像が浮かぶ小説だ。「訪問」と名につく本欄だが、今回はテレビ出演後に弊社に寄ってくれた中江さんに話を聞いた。

 「たぶん、自分が演じる仕事をしている影響もあって、私はカメラの位置を決めて、その視点から書いているところがあるんです」。さわやかな青の衣装に身を包んだ中江さんは語った。ただ今作では登場する姉妹の一人が体が不自由で動けないため、常に心理状態を描くことに。「でも、私はむしろそれが小説的だと思っていて、あえてチャレンジし、二人を対比して描くのは面白くもあり、難しくもありました」

 <生きることは居場所の奪い合いなのかも>…。作中にそんなせりふがある。「生きる上で、アイデンティティーというか、自分の存在をどこに置いていいかは今、若い人も大人も抱えている問題かもしれない。食べるものに困っているわけでもなくとりあえず働き口もあって、でも自分が生きてる感覚を覚えられない人が、けっこういるんじゃないかって感じるんです」

 玉青も、心に大きな飢餓感を抱えている。「自分から断ち切っているところもあるけれど、人とのつながりが希薄になっている中で、友人もあまりいない。ただやっぱり人間って、自分から関係をつないでいかなければ、つながらないものなんだと思います。居場所は奪い合いではあるけれど、一方で自分一人では得られない。仕事も一人でできることってすごく少ないし。『少し自分が折れれば付き合える人がいる』とか『ものの見方を変えればもっとお互いにいい部分を見せ合える』とか『関係をつないでいくことは最終的に自分を救うことにつながるんじゃないかな』…って、書きながら考えてましたね」

 執筆に当たり、最初に立てた問いは「人をどれだけ信頼できるか」。底流には『走れメロス』の物語を据えた。「たとえ親子でも姉妹でも、個々の人間である限り、信頼していいのかということはある。メロスも自分の身代わりに人質になった友人を一回だけ裏切ろうとし、友人もまた覚悟を決める時がある。私は、たとえ裏切られても、その人を信じようと思った自分には裏切られないんじゃないかな、と思うんです」

 小説は二〇〇六年に初めて『結婚写真』を刊行し、四作目。「信頼」とは、これまでの全作に貫かれたテーマにも思える。「『信頼したい自分』がいるんだと思いますね。相手を全部肯定できなくても、信頼したい気持ちは捨てたくないですよね」。毎日、原稿用紙五枚の執筆を自分に課しているという。「書けない時も何とか頑張って五枚に近づけるし、書ける時もあまり書きすぎない。日々、つづることで自分の変化も取り入れられるし、その物語を自分が書こうと思った意味が後から見えてくることがあるんです。各駅停車の旅みたいなものですね」

 〇二年、ラジオドラマの脚本懸賞で最高賞を受賞。「ある映画の仕事に入るはずが急に撮影が中止になって、ぱかっと時間が空いちゃって。自分が面白い、あったら楽しい世界を描き、自分なりのプレゼンをしようと思って書いたんです。それを応募したら幸運にも賞をいただいて、書くことへの扉が開きました」

 それぞれの表現は、どう違うのか。「結局、女優業はひと(他人)ありき。与えられた脚本と役がなければ何もできない。脚本は設計図を作るような仕事で、家だったら土台。女優は、その舞台に載せてもらうようなところがある。分業で、映像作品は総合芸術ですよね。小説はそれを全部、自分でできる。ラジオドラマもそれに近いんですけど、小説は予算やキャストに特に制限もなく、何人出てきてもどこの世界に行ってもかまわない。自由で、想像力を働かせられる。だから、どこへ行っちゃうかわからない怖さもあるんですけどね」 (岩岡千景)

 

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