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【土曜訪問】

物質で心身揺さぶる 瀬戸内国際芸術祭に「水」の作品 遠藤利克さん(彫刻家)

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 四十年以上にわたって国内外で活躍する彫刻家遠藤利克(としかつ)さん(69)=岐阜県高山市出身、埼玉県狭山市在住=は水や火など、異色の素材を用いて、独自の作品世界を追求してきた。瀬戸内海の島々を舞台にしたアートの祭典・瀬戸内国際芸術祭2019でも、水流を使って特別な「場」を作り、存在感を発揮している。

 埼玉県本庄市のJR本庄早稲田駅から車で約三十分、喧噪(けんそう)から離れた山際にあるアトリエで話を聞いた。改装中という作業場には、工具や合板が所狭しと置かれ、床には白い塗料が点々と。巨大な彫刻を保管する倉庫では、タールの臭いが鼻を突いた。木を焼いた作品に塗られたものだ。

 瀬戸内・男木島(おぎじま)(高松市)の出展作「Trieb(トリープ)−家」は、一軒の廃屋をそのまま使っている。崩れ落ちそうな日本家屋に入ると、天井から一本の水流が降り注ぐのが見える。滝のような音を立てて床の穴に消え、しぶきが汚れた床をぬらす。

 勢いよく落ちる水にすがすがしさを感じたと伝えると、遠藤さんは「じゃあ失敗だ」と苦笑した。実際には「不快」を表現した作品なのだという。「例えば雨漏りは、水が身体に落ち、神経に突き刺さる感覚があって、不快でしょう。水滴が気持ちいいと感じる人もいるが、私は落ちる水をそう捉える」。その感覚に、近代化の中で日本人が無意識へと抑えこんできた事物や、そこからもたらされる不快を重ねる。「私固有のものではなく、日本人の深奥に共通してある何かだと思う。だから批判ではなく共感として表現している」

 一九七〇年代から作家として活動し、八〇年代にはドクメンタやベネチア・ビエンナーレなど国際的な現代美術展に参加。精神分析の創始者フロイトが唱えた概念Trieb(「欲動」の意)を冠したシリーズに、九〇年代から取り組む。

 瀬戸内の出展作は、大量の水をポンプで循環させているが、当初は「水が家の外にあふれ、地形に沿って流れ、町を侵食する」構想だった。周囲への影響などを考え断念したという。

 途方もない構想だが「水は消えてなくならない」と、その意図を説明する。蒸発したり土に吸収されたりした水は、目に見えなくても、姿を変えただけで、やがて恵みや災害をもたらす。確かに、抑圧されている人々の無意識や、不快さに通じるものがある。

 遠藤さんが水を使い始めたのは二十代半ば。「最も作品になりにくい素材」を使ってみようと考えた。木彫の仏像や工芸品を手がける父親の影響で、幼いころから見よう見まねで仏像を彫っていた。だが名古屋造形芸術短期大(現名古屋造形大)の彫刻学科で学ぶうち、現代美術への関心を深め、独自の創作を模索するようになった。

 まずは水を紙やコンクリートに塗り、試行錯誤を繰り返した。数年たち、地面に埋めた器に注いでみた時、水が物質から幻想や象徴に変わったと感じた。「意味があふれ出したかのようだった」。制作を続ける中、用いる水の状態や意味合いは変わってきたが、この体感が、さまざまな制作の源流にあるのだろう。

 木で作った巨大なドーナツ形、火を使って地面に描かれた円…。水以外を素材にしても、作品群は一見、シンプルだ。だが、水の滴る音や、木に塗ったタールの臭い、大きさによる圧迫感など、鑑賞者の全身にさまざまな実感をもたらす。

 遠藤さんは「コンセプトや説明を伝えるなら言葉でいい。私にとって作品とは、私だけでなく観客を含めて共有されるもの。形が残ることに執着はなく、名状し難い感情や経験を残したい」と語る。心身を揺さぶる「場」は、消えたように見えても存在している水のように、心に残り続ける。 (谷口大河)

 ※「Trieb−家」は、瀬戸内国際芸術祭の秋会期(二十八日〜十一月四日)でも展示される。

廃屋の天井から床へと水が降り注ぐ「Trieb−家」=高松市の男木島で

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