東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 文化 > 土曜訪問一覧 > 記事

ここから本文

【土曜訪問】

囲碁好き育てる妙手 史上初、親子3代で現役プロに 羽根泰正さん(棋士)

写真

 囲碁界に『中京のダイヤモンド』と呼ばれる棋士がいる。日本棋院史上初めて親子三代の現役棋士が輩出した羽根家の祖、羽根泰正(やすまさ)さん(75)=愛知県長久手市=だ。孫の彩夏(あやか)さん(17)が四月にプロ入り。『平成四天王』の一人に数えられる次男の直樹さん(43)は八月、七大タイトルの碁聖に返り咲いた。慶事が続く中、家族として、ベテラン棋士としての思いは?

 「直樹が家を建ててから、近くに引っ越してきたんですよ」。泰正さんが夫婦で暮らすのは、閑静なベッドタウンにある洋風のしゃれた家。ただ、玄関のすぐ隣にある和室が、独特の存在感を放っていた。分厚い脚付きの碁盤や棋譜を置く台が並ぶ空間は、本人が今も現役の勝負師である証しだ。

 三重県志摩市の農家で、七人きょうだいの四男として生まれた。父親が大の囲碁好きで、雨の日は近所の碁打ちが集まり、熱心に盤を挟んでいた。そんな場に駄菓子目当てで顔を出すうちに、自然とルールを覚えたという。やがて地元の大会で入賞するようになり、小学五年で同県出身の島村俊広九段に入門。内弟子として名古屋で囲碁漬けの日々を送り、中学二年でプロ入りを果たした。

 七大タイトルの一つ王座獲得など多くの実績がある。とりわけ語り草なのが、一九八八年にあった「第四回日中スーパー囲碁」での奮闘だ。日本と中国がそれぞれ十人近くのチームを組む対抗戦。勝った棋士がそのまま次の相手と当たるユニークな棋戦だった。

 それまでは日本の実力が突出していたが、中国に『鉄のゴールキーパー』と呼ばれる強豪の聶衛平(じょうえいへい)さんが現れ、様相が一変。聶さんは第一回から怒濤(どとう)の十一人抜きでチームを三連覇に導き、中国に空前の囲碁ブームを巻き起こした。その快進撃を止めたのが、泰正さんだった。

 二人が対局したのは中国・広州市。泰正さんが空港に着くと、ホテルまでパトカーで先導された。現地解説会には六千人もの観客が集まった。そんなアウェーの空気の中、泰正さんは見事な逆転勝利を収め、日本に初の栄冠をもたらした。

 当時の聶さんは、中国で石原裕次郎と美空ひばりを合わせたくらいの人気者。泰正さんは現地でさぞ嫌われたかと思えばそうでなく、英雄を破った名棋士として尊敬された。「十回以上中国に行ったけれど、嫌な思いをしたことは一度もない。囲碁とはそういうもの。最近は日本と韓国の関係が悪いが、囲碁界の長年のつながりを政治に生かして、関係改善につなげてほしい」と願いを込める。

 今や棋界の長老格だが、実はコンピューターを使った研究の先駆けでもある。三十代の頃、普及活動で一カ月ほど米国に滞在。現地で詰め碁を解くソフトを見せてもらい、感銘を受けた。帰国後、プログラミングに詳しい知人と囲碁のデータベースソフトを開発。アルバイトを雇いながら七千局分の棋譜を打ち込み、戦法ごとの勝率などを割り出した。インターネットがなく、地方の棋士は情報量で不利な時代。「東京の棋士に負けまいと、誰もやってないことをやろうと思って」と振り返る。

 それから数十年。近年は人工知能(AI)の手をプロ棋士がまねるようになった。そんな風潮には懐疑的だ。「コンピューターに頼りすぎると、自分の考えがなくなってしまう」と警鐘を鳴らす。

 七大タイトルを初めて手にしたのは、直樹さんがプロ入りする直前だった。「今回はアヤちゃん(彩夏さん)がプロ入りした直後に直樹がタイトルを取った。親は子を励みにするんですよ」と目を細める。

 子どもは概して親の思い通りにならない。それでも羽根家の子や孫は、皆囲碁好きに育った。「本当は厳しく指導したいけど、ぐっと我慢した。囲碁が嫌いにならないように」と泰正さん。自然な環境を用意し、ソフトに導くのがコツらしい。ほかに秘策はありますか? そう問うと、笑顔でこんな答えをくれた。

 「私はまず妻に囲碁を教えました。子どもは母親がすることなら興味を持ってくれるから。普段外にいる父親が『やれ』と言っても、子はそうそう動きませんよ」 (岡村淳司)

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報