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【土曜訪問】

難民の「語り」に導かれ 旧ユーゴ内戦下の「食」を聞き書き 山崎佳代子さん(詩人)

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 セルビアに長年住み、日本語とセルビア語で創作する詩人、山崎佳代子さん(63)が、年に一度帰国するのに合わせて、都内で会った。戦火の中、難民となった普通の人たちはどう生きていたのか。内戦で旧ユーゴスラビアが解体したバルカン半島で、友人や親しい人々らを各地に訪ね、聞き書きを重ねてきた。

 尋ねたのは、戦争中に何を食べていたかということ。「食べ物とは思い出のこと、料理とは甦(よみがえ)りなの」(リュビツァ・ミリチェビッチさん)、「料理をするということは家族を集めるということ。異常なことが起こっていることに対する抵抗でもあるのよ」(ゴルダナ・ボギーチェビッチさん)

 こうした、つらい体験と共に語られた滋味深い言葉の数々をまとめた『パンと野いちご』(勁草書房)が今年、紫式部文学賞を受賞した。生に向かう言葉はどこから生まれたのだろう。

 「彼らの語りの力です」

 受賞について尋ねると、こう返ってきた。古来、紛争の絶えないバルカン半島は、戦争の記憶を伝える口承文学が根付いているという。たとえばセルビアなら、十四世紀にオスマントルコにどう敗北したかを子どもたちに綿々と語り継ぐ。

 そうした素地に、「彼らの生きる哲学みたいなもの」が加わった。

 「私が聞いた彼らのお話の中に、何かを憎むとか恨みを持つということがなかった。苦労して逃げてきたら村の人が温かいコーヒーを振る舞ってくれたとか、自分を助けてくれた人に感謝する気持ち、喜びの方が大きい。希望を捨てないという、生きる知恵だと思うんです」

 家も仕事も失った。夫を戦場で亡くす、または、必死に逃げてきた揚げ句にがんで見送った深い喪失もある。それでも、パンを焼く。なけなしの豆や肉を煮込む。語りから、生きることへの愛情とエネルギーが消えることはなかった。

 質問したのは一つ、戦争と食べ物について、だけだ。食という命の根源から語れば、どんな人たちにも伝わる言葉が拾えるのではと考えた。同時に、報道では決して伝えられなかった言葉を届けたかった。

 「旧ユーゴの内戦はメディア戦争でした。国際的にはアメリカの報道が大きな影響を与え、国内では内戦の当事者がそれぞれの政策に沿った報道をする。外側と内側からメディアが、私たちが日常的に使っている言葉を使って、工場の大量生産のように、イメージを増産した。その結果、戦争が正当化されてしまったのです」

 「澄んだ言葉」を発したいと言う詩人が、このときはいら立ちを見せた。国が言葉をふみにじることへの怒り。それが四十人近くに聞き書きを続けた原動力の一つであることは間違いない。文学の世界や難民の支援活動などで気心の知れた人たちに、カフェで、時には相手の自宅で、普段のままに話を聞いた。文面に親密な空気が流れている。

 バルカン半島には、国家や民族の語り以外に、「間の歌」と呼ばれ、悲恋や心中も含めて個人の運命をうたうバラードの伝統もあり、山崎さんは、その方が好きだと言う。

 静岡市出身。ユーゴの文学を学ぼうと一九七九年にサラエボに留学し、八一年からベオグラードに滞在して三十八年。「日本語で書いている詩でも、インスピレーションはセルビア語の体験からきていることもある。身体を通して日本語とセルビア語を行ったり来たりしています」

 二十世紀を代表するセルビアの詩人ツルニャンスキーが、一九二八年に編んだ『日本の古歌』を研究し、セルビアにとって日本がどう理解されていたかを調べてもいる。聞き書きは九三年、ベオグラードで定点観測した『解体ユーゴスラビア』(朝日選書)が初めて。今回はバルカン半島の各地を回る旅をして土地の景色も感じとった。

 次の詩集は、タイトルだけ「もだおりて」と決めている。大伴旅人(おおとものたびと)の歌に出てくる、黙って、という意味の言葉だそうだ。「黙るしかない美しさとか、誰かに黙らされているとか、人間が言葉を失った時に詩に何ができるか、興味があるんです」 (鈴木久美子)

 

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