東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 文化 > 土曜訪問一覧 > 記事

ここから本文

【土曜訪問】

価値観 ゼロに戻して 「いのち」を見つめるエッセー 本橋成一さん(写真家・映画監督)

写真

 炭鉱、サーカス、上野駅、チェルノブイリ…、写真や映画で、そこに生きる人々を撮ってきた本橋成一(もとはしせいいち)さん(79)が、エッセー集『世界はたくさん、人類はみな他人』(かもがわ出版)を出した。これまで写真集には印象的なあとがきを記しているが、文章中心の本は初めて。東京・東中野の事務所を訪ねた。

 「居心地のいい所、またこの人に会いたいな、という所を、僕は写真に撮ってきた。そこで学んだこともあるし、年齢とともに考えることも多くなってきました。そうしたことを書いてみようと思ったのが今回の本です」

 厳しい環境の中にも居心地の良さを見いだすのが本橋さんだ。たとえば初めてチェルノブイリに行き、撮った原子力発電所の写真。爆発事故後、内部の核反応に手の施しようがなく死の「石棺」と呼ばれていた四号炉に、植物がはえているのをルーペで見つけた。「いのちというのはなんて不思議で、いとおしいのだろう」と、写真絵本『チェルノブイリからの風』(一九九三年)に書いた。放射能汚染地の村の暮らしを撮り続け、『無限抱擁』(九五年)以降三冊の写真集と映画にまとめた。

 大阪・松原の食肉処理場を撮影した写真集『屠場(とば)』(二〇一一年)の取材では、毎日百頭近くの牛の眉間をノッキング銃で撃つ男性が、休憩中、たかる蚊を手のひらでそっと払いのけ、決して叩(たた)かないことに気付いた。

 「いのちをいただく仕事をしている人は他のいのちに対するやさしさを持っていました」

 そんな「いのち」を見つめる撮影は自身の暮らしと地続きなのだろう。東中野生まれで、五歳で終戦。エッセー集は「焼け跡の街が原点」と始まる。

 東京大空襲を含め、二度の空襲に遭った。ぐるぐる回る炎の中を、どぶ水でぬらした防空ずきんを母親にかぶせられて逃げ惑った。

 「焼け野原になり終戦。物がなく貧しかったのですが、大人たちはにこにこして、やさしくなった。あの光景が僕にとっての平和。写真に撮りたかった」

 写真を撮る出発点は一九六〇年代、写真学校の卒業制作で九州・筑豊に訪ねた、記録文学作家の上野英信さんの言葉。絵になる炭鉱の写真を求めた若者は、「どこに軸足を置いて君は写真を撮るのか」と上野さんに諭され、「彼らの目の高さでとことんつきあおうと思いました」。

 二人の娘、游(ゆう)さん、楽さんの父親でもある。楽さんは、生まれた時にダウン症と分かった。

 「最初は一週間くらい悩みました。でも、保育園の送り迎えをするようになり、楽と近所に買い物に行くと、同級生が『あ、楽ちゃんだ』。そのうち楽がいなくても『楽ちゃんのお父さんだ』と。それがうれしくて。子は授かり物というけれど、授かるとは自分の中に子どもの価値観をプレゼントされることでした」

 「障害者」と言葉でくくると思考停止すると言う。違う個性を持つ人たちが一緒に過ごす時間があれば、手間はかかるし大変だが、学ぶことも大きいと。

 「自分の価値観を少しでもゼロにもっていくことから始まると思うんです。世間一般で言うと頂点は健常者。でも、それ本当かなって思うようになれば、しめたもの」

 アフリカや中東など、さまざまな国を撮影で訪れた。

 「世界中、風土も宗教も言葉も違う。それを『人類は兄弟』みたいに、自分の世界の価値観に相手を押し込めようとすると、戦争になる。相手を認めることが大事だと思います」

 生活感を失わず、楽しんで自由に、身体や感覚で感じる居心地良さの「在(あ)り処(か)」を追っていく。そんな姿勢を形づくった土壌が、全三十一編のエッセーにちりばめられている。

 「僕ら、みんな平等にいのちを抱えています。運のいい人も悪い人もいるけれど、トータルに見れば同じ。いのちが脅かされることは、やっぱり絶対どこかで阻止したい。いっぺんしかないんですからね」

 今月、写真展などを催すスペース「ありかホール」を東中野で始める。

 「ホールはHall(会館)ではなく、Hole(穴)です」

 なんて心地良さそうな。

 (鈴木久美子)

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報