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【考える広場】

伊勢湾台風60年「大洪水時代」に立ち向かう

 五千人を超える死者・行方不明者を出した伊勢湾台風から六十年。被害を教訓に防災や気象予測は進んできたが、地球温暖化で台風の巨大化やゲリラ豪雨の頻発が懸念され、日本は「大洪水時代」に入ったとの指摘がある。今ここにある危機にどう立ち向かうか。

 <伊勢湾台風> 1959(昭和34)年9月26日、紀伊半島に上陸して本州を縦断した台風。ピーク時の気圧は894ヘクトパスカル、上陸時も929ヘクトパスカルで、超大型で非常に強い勢力だった。伊勢湾で高潮を起こしたことから洪水が発生して被害が拡大。東海地方を中心に死者・行方不明者は5098人に及び、明治以降の台風災害では最多となった。この台風がきっかけになって61年、災害対策基本法が制定された。

◆水害対応、常に念頭に 愛知県半田市長・榊原純夫さん

榊原純夫さん

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 伊勢湾台風のとき私は小学五年生でした。一九五九年九月二十六日、愛知県半田市の自宅で夕食を食べていたら突然、電気が消えました。風はどんどん強くなってくる。ついには暴風で屋根が吹き飛ばされ、激しい雨が降り込んできました。それでも私の家は山の中腹にあったので浸水は免れました。

 翌日は、よく晴れて暑い日だったと記憶しています。学校に向かうと、海に近い地区は水害で悲惨な状況でした。学校も浸水被害に遭い、教室では水で流された机が後ろの方にたまっていました。しばらく学校は休みになりました。授業が再開し、同じクラスの女の子二人が命を落としたことを知りました。同級生の死はショックでした。クラスは違っても仲の良かった男の子も亡くなりました。彼の顔は今でも覚えています。

 満潮の時間と台風の接近が重なり、被害は甚大でした。半田では高潮で堤防があちこちで決壊し、濁流が人や建物をのみ込みました。あっという間に水位が上がったそうです。市内では二百九十一人が亡くなりました。台風直後、遺体が道端に横たわっているのを見た友達もいます。市内に斎場はありましたが間に合わず、仮設の火葬場で荼毘(だび)に付されました。

 伊勢湾台風の六年前の台風でも半田は被害を受け、堤防は補強されていました。これを過信して逃げなかった人もいたと聞きます。いまの堤防は東日本大震災の教訓から耐震性も高めています。しかし、私は市長として水害の恐れがある場合には、遅滞なく避難指示を出します。空振りでもいいんです。

 市役所の庁舎は一階フロアの高さが伊勢湾台風で浸水した水位より高くなっています。五年前に建て替えた際、より安全な山に近い場所に移すべきだという意見もありました。しかし、市役所の周辺に住み、事業をしている人も多い。万一のとき、その人たちの緊急避難場所にもなる建物が必要だと考え、旧庁舎の隣接地に建てました。

 海に近い自治体では、水害のリスクをいかに軽減できるか考えながら行政を運営します。とはいえ、防災・減災に「絶対」はありません。百パーセント大丈夫だとは言い切れない。被災者を一人でも減らせるよう、常にモアベターを追求し、ベストに近づけていく。それが行政の務めだと思っています。

 (聞き手・越智俊至)

 <さかきばら・すみお> 1949年、愛知県生まれ。京都府立大卒。75年、半田市役所に入り、助役、副市長を経て、2009年6月の半田市長選に出馬して初当選。現在3期目を務める。

◆不可欠な航空機観測 名古屋大宇宙地球環境研究所教授・坪木和久さん

坪木和久さん

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 私たちのグループは二〇一七年、日本人研究者として初めて独自に航空機で台風の目に入り、測定器のゾンデを投下して観測しました。機体が雲に覆われ、がたがた揺れていたのが、目に入った瞬間、雲が切れ、そこは静穏な世界。気圧は九二五ヘクトパスカル。気温が一気に十数度上がりました。こうした台風観測は米軍がしていましたが、一九八七年に終了。三十年ぶりの直接観測でした。

 熱帯低気圧には台風のほかにハリケーンやサイクロンがありますが、台風は最も数が多く、かつ強い。にもかかわらず研究が盛んになったのは本当に最近で、〇二年に地球シミュレーターという巨大なコンピューターができてから。今も分かっていないことが多いのです。

 「測定データなしでどうやって台風の状態を知るのか」と驚かれるかもしれません。実は、気象衛星で得られた雲のパターンで強度(中心気圧)などを推定しています。進路予測は進んでいますが、強度予測は改善されるどころか、むしろ悪くなっている。この方法は中程度の強さまでの台風では精度が高いのですが、近年増加の急速に発達する台風では予測が難しい。また、九〇〇ヘクトパスカルに近づくような「猛烈な」台風やスーパー台風については過去の経験が少ないため誤差が大きい。世界の気象機関が共通で抱える悩みです。

 改善するには、台風の中心や周辺部の気象データがぜひとも必要です。地球温暖化が台風の強度にどう影響するかを知るためにもデータの蓄積が欠かせません。また、ゲリラ豪雨の一因になる線状降水帯の発生を予測するためには水蒸気量の正確なデータが必要です。それには航空機による直接観測しかない。

 私は一七年以来、台風の目に九回入っています。正しい現場判断ができれば、軍用機のような特殊な装備がない民間航空機でも安全に入れることが分かりました。気象庁は予算の関係で航空機観測を実施しない方針ですが、私たちが観測を積み重ねることで、その意義と真価を認識してもらえればと思います。

 日本は世界の中で最も頻繁かつ多様な気象災害が発生する国です。台風もですが、線状降水帯がこれほど頻繁に発生するところはない。温暖化によってその被害は激甚化します。台風は数が減るものの、巨大化しやすくなる。もう待ったなしです。

 (聞き手・大森雅弥)

 <つぼき・かずひさ> 1962年、兵庫県生まれ。専門は気象学。理学博士。雲解像モデルの開発とそれによる大規模シミュレーション、台風の航空機観測のプロジェクトなどに取り組む。

◆現場感覚持ち対策を リバーフロント研究所技術参与・土屋信行さん

土屋信行さん

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 防災マニュアルは年々充実していますが、逆に対策を脆弱(ぜいじゃく)にしている面もあります。全体状況を把握して総合的に対策をしようというよりは、部門ごとに細分化され、それぞれが完璧な対応を目指す。完璧にするにはアナログは古いとされ、コンピューターを絶対視してしまう。

 今、災害対策の最前線では、自治体も国も中央管制室みたいな所に大きなテレビモニターを置いて映像を見ている。災害の現場から遠く、まるでテレビゲーム。何が起こったかという事後の情報ばかり集めています。

 僕は全く逆だと思います。災害対策は現場で考え、そこに生きている人たちの命の重みを分かった上で、どうするかが大事なんですよ。血が流れるということに思いが至らないようでは対策はできません。

 僕らが現場にいたころは、人が死なないよう家が沈まないよう事前にやれることを最大限やりました。水が出るとなれば、すぐにかっぱを着て飛び出し、どこが危ないか分かっているから「土のうを積め」「あのうちにポンプを持って行け」。そういう現場感覚がなくなってしまった。

 こうなったのは行政改革で人員削減が始まってから。最初に減らされたのは土木などの現業職員。その穴を埋めるのは民間業者のはずでしたが、業者も減っている。人手不足で現場対応は脆弱になっています。

 自治体の首長の中には「皆さんの命は守れません(だから自助、共助で)」と公言する人もいます。そもそも避難や浸水対策などが不要な都市基盤整備こそが第一にすべきことなのに。住民の命を守る覚悟がなくて何が自治体か、何が国か。

 事後のための組織なら要らない。米国の連邦緊急事態管理局(FEMA)は事前対策の機関として動いている。ハリケーン来襲などの緊急事態には陸海空三軍の指揮権まで持つそうです。日本版FEMAが必要です。

 住民もただ「助けてくれ」はだめ。自助、共助、公助のバランス、つまり総合力が大事。訓練などを通じてこれを鍛え、自助、共助、公助力の連携を強固にし、ひいては一人の命も失われない政策をつくらないと。

 海外の保険会社がまとめた自然災害リスクの高い都市ランキングで、日本は上位を占めました。リスクを克服するために、これまでのマインドを変えて一歩前に出るべきです。

 (聞き手・大森雅弥)

 <つちや・のぶゆき> 1950年、埼玉県生まれ。75年に東京都職員となり、土木畑で災害対策に取り組んだ。市民防災まちづくり塾かたりべ。著書に『首都水没』『水害列島』(いずれも文春新書)。

 

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