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【考える広場】

eスポーツが五輪競技になる日

 コンピューターゲームの腕前を競い合うeスポーツが注目されている。アジア大会では正式競技となることが決まっており、五輪競技としての採用を目指す動きもある。さて、その未来は。

 <eスポーツ> エレクトロニック(電子)スポーツの略。コンピューターゲームを使った競技で、格闘、サッカーなどの種類がある。総務省の「eスポーツ産業に関する調査研究」によると、2017年の世界市場規模は700億円で、21年には1765億円との予測も。茨城国体の文化プログラムとして10月に都道府県対抗の大会が開かれる。

◆バブル心配過信禁物 プロゲーマー・ももちさん

ももちさん

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 プロゲーマーになったのは二〇一一年です。それまでは名古屋のホテルで働きながら、プロを目指して自費で海外遠征し、大会に出ていました。それが米国のプロチームの目に留まり、スカウトされました。ただ、契約は一年ごとの更新で、当時は大きな大会でも優勝賞金は数十万円程度。それでは生活が不安定なので、最初はプロゲーマーとホテルマンの二足のわらじでした。

 プロになると、報酬と遠征費用がチームから支給されます。それと大会の賞金が収入ですが、三年間は満足な結果を残せませんでした。あと一年やって駄目なら辞めよう。そう覚悟してホテルを退社し、東京に拠点を移しました。上京の翌月、シンガポールで開かれた大会で優勝し、米国で行われる世界大会の出場権を得ました。そこでも優勝し、自分のプロゲーマー人生の転機になりました。

 今は海外遠征が年に十〜二十回、国内の大会には五回ほど出場しています。大会がない日はひたすら練習です。一日の練習時間は十時間を超えます。試合に負けたときなどゲームが嫌になる瞬間もあるし、辞めたいと思うこともあります。でも、息抜きに別のゲームを楽しんでいたりする。結局、ゲームが好きなんです。

 収入は同世代の人より多いと思いますが、プロゲーマーはいつまでできるか分かりません。引退後のセカンドキャリアも考えて、一五年にプロゲーマーの妻と一緒に会社をつくりました。ゲーム大会やイベントの開催、後進の育成。大変ですが、やりがいのある仕事です。

 ここ数年、ゲーム大会の賞金が急騰しています。悪いことではありませんが、その話題だけが先行しているのが気掛かりです。一気に上がった反動で、一気に下がる可能性もある。バブルみたいにならないかと懸念しています。ゲームは本来、楽しむものです。ゲーム好きの人たちが、高額賞金で盛り上がる今の業界から離れていってしまうことも心配です。

 eスポーツが五輪競技になれば認知度は上がるでしょう。しかし、五輪終了後はどうなるか。これもバブルのように急速にしぼんでしまうかもしれません。だから、五輪に関しては期待半分、不安半分といったところです。五輪の力に頼り過ぎない方がいいと思います。

 (聞き手・越智俊至)

 1986年、愛媛県生まれ。本名・百地祐輔(ももち・ゆうすけ)。対戦型格闘ゲームの世界2大大会で2014、15年に優勝し、世界から注目される。妻はプロゲーマーのチョコブランカ(百地裕子)さん。

◆「遊び」の価値見直して 社会学者・加藤裕康さん

加藤裕康さん

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 ゲームは「遊び」だが、スポーツは「役に立つ」「真面目」。この価値観は、近代スポーツが学校教育に取り込まれてきた歴史と関係があります。

 例えば野球。明治時代、米国人教員の遊びとして日本に入ってきました。でも、旧制一高の国家的エリートの学生たちは快楽として享受できずに、徳育や自己成長に役立つものと位置付けた。みんなのために自己を犠牲にし、厳しい練習にも耐えることが奨励されていきました。

 スポーツは本来、「役に立つ」だけではありません。体を動かし、人とつながることが楽しい「遊び」です。語源のラテン語「デポルターレ」も「気晴らし」「遊び」の意味です。

 スポーツは身体活動を伴う競技ですが、激しく動くものばかりではありません。五輪競技のクレー射撃は一見、指しか使っていませんが、実は腕や肩など全身が連動しています。ゲームも同様です。反射神経も、大会で勝ち抜くには持久力も重要。年齢差や性差、障害の有無を超えて競えますが、身体能力が勝敗を左右するので、分けた方が競技としては公正です。チェスや囲碁をマインドスポーツと呼ぶように、電子デバイスを用いるゲームはeスポーツです。

 五輪に関しては、国際オリンピック委員会(IOC)が作ったゲームで競技を行う、という意見もあります。IOCは「暴力的なゲームはふさわしくない」という立場で、例えば格闘ゲームが五輪競技になるのは難しい。ただ、五輪自体の人気に陰りがある中、どのゲームが採用されるかは政治的、経済的な折衝を経て決まるでしょう。

 eスポーツが五輪に採用されても、社会に長期的に根付くかは分かりません。裾野を広げる上では学校に取り入れることも有効です。ゲームは人体や生活に害を及ぼすといわれます。実は野球や柔道もよく似た非難にさらされ、普及する際には教育効果を強調しました。eスポーツが学校の部活動や五輪競技になる動きは、近代スポーツがたどった歴史と似ています。

 野球は「自己犠牲精神」が身に付くとして戦時下の総動員体制に結び付きました。「役に立つ」内実は時代や地域によって変わり、政治や暴力に利用される恐れがある。ゲームもスポーツも、楽しい「遊び」であってよいはずです。そこからスポーツを捉え直すべきではないでしょうか。

 (聞き手・谷岡聖史)

 <かとう・ひろやす> 1972年、神奈川県生まれ。関東学院大、聖学院大などで非常勤講師。著書に『ゲームセンター文化論』、共著に『多元化するゲーム文化と社会』など。

◆身体性欠いた「もどき」 スポーツ文化評論家・玉木正之さん

玉木正之さん

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 スポーツの語源はラテン語の「デポルターレ」。日常生活(労働や仕事)から離れた遊びや祭りの時空間を意味します。それからすると、eスポーツはスポーツの一種と言って全然間違いではない。それに、チェスやビリヤードなども五輪競技に立候補しています。だからeスポーツが五輪を目指しても全くおかしくありません。

 しかし、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は昨年九月、AP通信の取材でeスポーツの中の殺人ゲームについて「暴力や差別を助長する競技が五輪に入ることはありえない」と述べました。それは私たちの考えるスポーツではないと。

 実は、その発言に影響を与えたのではないかと思われる事件が直前に起きていたのです。米フロリダで開かれたeスポーツの大会で、敗れた選手が銃を乱射してほかの選手を殺傷してしまいました。五輪の競技になっているスポーツでは一回もこのような事件は起きていません。

 スポーツ社会学者のノルベルト・エリアスによれば、五輪競技などのスポーツの多くは古代ギリシャと近代英国から生まれています。それはどうしてか。共通するのは民主主義ですよ。要するに非暴力。暴力的な要素をゲームにして実際に傷つけ合ったりしなくていいようにしたのがスポーツなのです。eスポーツにはその暴力性をよみがえらせる恐れはないでしょうか。「e=エレクトロニック」という別世界での暴力が現実世界に入り込んでくるような。

 もちろん事件は選手個人の問題であって、eスポーツが殺人を促すということではありません。ただ、その特性として戦う相手と体を触れ合うことはないし、目を見交わすこともないということがある。そこがほかのスポーツとは異質です。スポーツは暴力の危険性を体で知ったところから生まれました。身体による思考です。ところが、eスポーツは決定的に身体性を欠いているように思えるのです。結論として、私はeスポーツはスポーツもどきであると言わざるを得ません。

 このような意見には反対も多いでしょうね。私自身、eスポーツは未来の人間の形を生み出す競技かもしれないとも感じています。だから私を言い負かす意見があれば−ないと思いますが、いつでも結論を変えるつもりです。

 (聞き手・大森雅弥)

 <たまき・まさゆき> 1952年、京都市生まれ。スポーツから音楽まで幅広く執筆活動を展開。『スポーツとは何か』『スポーツ解体新書』など著書多数。訳書に『ふたつのオリンピック』など。

 

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