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【考える広場】

ことしで70回、紅白歌合戦とその時代

 大みそかの夜。茶の間の中心はその番組だった。NHK紅白歌合戦。この国民的な音楽番組が今年で七十回目を迎える。その年の日本を映す鏡でもある紅白から見える、変わったもの、変わらないものとは?

 <紅白歌合戦> 1945年の大みそかにラジオで放送された「紅白音楽試合」が前身。現在の名前では、51年1月3日放送が第1回。第3回までは正月、ラジオでの放送だったが、テレビ中継が始まった53年の第4回から大みそか放送という現在のスタイルが確立した。63年には視聴率81・4%を記録。娯楽や音楽の多様化に伴って最近の視聴率は40%前後だが、出演自体が歌手にとってステータスとなるなど、今も国民的番組であり続けている。

◆一年締めくくる舞台 歌手・石川さゆりさん

石川さゆりさん

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 大みそかには家族そろって紅白歌合戦を見て、除夜の鐘が鳴って新しい年がやってくる。私の子どものころは、それが日本の年越しでした。紅白はそういう番組でした。

 十五歳でデビューしてからは紅白で歌うことが目標になりました。初出場は一九七七年、十九歳のとき。「津軽海峡・冬景色」を歌わせていただきました。番組の最後に全員で「蛍の光」を歌っていたとき、島倉千代子さんが私の手を握って「来年もここで一緒に歌おうね」と言ってくださって。とてもうれしくて、励みになりました。

 紅白の思い出はいろいろあります。一年最後の歌、トリを初めて務めさせていただいたのは八六年です。歌は「天城越え」でした。この曲は、作るときから作詞、作曲、プロデュースの方が「紅白でトリを取る」ことを目指していました。実現できて本当にうれしかったですね。

 歌い手にとって紅白は、コンサートやテレビで歌ってきた一年間の締めくくり、歌い納めのステージです。それを十代から六十代になるまで続けてこられたのは、幸せなことだと思います。歌を聴いてくださる方がいらして、その場をいただいているのだと思っています。

 時代の移り変わりとともに紅白の形は変わってきました。以前は華やかなお祭りでした。歌い手の応援合戦もありましたし、間奏のときにハトが飛んだこともありました。でも、お祭りの中にも対戦という意識は強くて、負けると本気で悔しがっていました。

 今は、映像で見せる演出が増えたように感じます。目でも楽しめる演出です。演出家も若い人が増えました。そうやって新しいものを作り出していく。すてきなことですね。娯楽が多様化し、皆が紅白を見る時代ではなくなったのかもしれないけれど、紅白、ゆく年くる年、除夜の鐘という年越しは今も残っています。

 歌は、どんなときでも身近にあって、元気が出たり励みになったりするものだと思います。東日本大震災の後、避難所を訪ねたとき、あるおばあちゃんに「早く自分の家のテレビで石川さゆりの歌を聴きたい」と言われました。日本では、地震や台風など災害が続いています。皆さんの生活が早く元通りになってほしい。その中に自分たちの歌があるのなら幸せです。

 (聞き手・越智俊至)

 <いしかわ・さゆり> 1958年、熊本県生まれ。73年デビュー。77年、紅白歌合戦初出場。以来41回出場。2019年、紫綬褒章受章。9月に125枚目のシングル「河童(かっぱ)」をリリース。

◆全世代で熱狂共有を NHK紅白歌合戦制作統括・加藤英明さん

 制作に携わって初めて分かったのですが、紅白歌合戦とは、その年の最後の瞬間を迎える日本中の視聴者の皆さんがこの一年はどんな年だったかを無意識に感じている、その感覚を番組化するものなのです。その手法がたまたま音楽だった。過去の紅白でも、時代と響き合っている年はうまくいっています。

加藤英明さん

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 そのためには、僕らスタッフの想念のようなものが一つの形になって時代に柔軟に寄り添う必要がありますが、最終的にはやってみないと分からない。紅白は生放送。歌手や司会の方々が歌い、語り、その一挙一動を視聴者の皆さんが食い入るように見てくださっている。まさに一秒一秒がドラマですから。

 紅白はまた、全世代型のコンテンツ(内容)を目指さなければいけない。時代は変わっても、その志だけは変えてはならないと思っています。問題は、今の時代に全世代型が可能か。好きな音楽も、音楽への接し方も世代によって多様化しており、今ほど一つのものとして捉えにくい時代はありません。さっきの話と矛盾しますが、紅白は時代に逆行しているように見えるかもしれませんね。

 でも、視聴率40%を続けられているのは、紅白のような共時性のある番組を皆で見ることが今でも意外とニーズがあるということではないでしょうか。今風に言うなら、体験のシェア(共有)です。ネットが進化していく中で音楽は個人個人が楽しむものになっていくと思いきや、今の時代、個人や家族、いろんな集団の枠を超えて熱狂できるものが求められている気がするのです。

 その意味では、紅白も音楽フェスのような形を目指すべきかもしれません。今ここでしか聞けない歌や見られない人をライブで提供すること。昨年の紅白で桑田佳祐さんと松任谷由実さんが共演した瞬間の会場の熱狂は、そのモデルになると感じました。

 今年の紅白に関しては、七十回という節目に過去を振り返るよりは未来志向でありたいと思っています。具体的には、来年の東京五輪・パラリンピック。そこに向かって今の日本が世界に何を発信できるかを届けたいですね。キーワードは「超える」でしょうか。昨年の紅白を、時代を、国境を、立ちはだかる壁を超える。そして、そこに見える新しい景色を示したい。

 (聞き手・大森雅弥)

 <かとう・ひであき> 1973年、東京都生まれ。97年のNHK入局以来、芸能畑を歩み、「SONGS」などを手掛ける。紅白では2011、12年に演出を担当。昨年はチーフプロデューサーを務めた。

◆テレビ最後のとりで 社会学者・文筆家・太田省一さん

太田省一さん

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 紅白歌合戦が国民的番組となったのは一九六〇年前後です。

 「三種の神器」の一つと言われたテレビは焼け跡からの再出発の象徴で、五九年の皇太子(現・上皇)ご成婚などで約八割の家庭に普及します。紅白は単なる歌番組から、その年を振り返る一種のドキュメンタリーになります。国家的イベントの東京五輪を翌年に控えた六三年は、聖火の演出で始まり、最後は「東京五輪音頭」。81・4%の国内最高視聴率を記録しました。

 その後も視聴率は70〜80%程度を維持し、演歌に加えてポップスやロック、アイドルも登場。テレビを中心とした歌謡曲の黄金時代でした。「みんなが見ている」という一億総中流意識の下、日本人は紅白に「安住の地」を見いだしたと言えます。

 八〇年代半ば、紅白の演出はワイドショー化していきます。都はるみさん、森昌子さんの引退劇の舞台となったり、交際がうわさされた男女の歌手に社交ダンスをさせたり。その背景には、歌謡曲の衰退がありました。NHKでは紅白打ち切りも検討され、九〇年代以降は中継での出演も増えます。

 そんな時、九一年初出場のSMAPの存在は大きかった。阪神・淡路、東日本の二度の大震災などで生きづらさを感じる時代に「がんばりましょう」「世界に一つだけの花」と歌い、中居正広さんが司会、グループでは大トリを務めて「SMAP頼み」の紅白になっていく。社会の格差が広がる中、個人でもグループでも存在感があるという理想の集団像を示しました。

 今やかつてのようにテレビの歌番組からだけではヒット曲を判断できません。インターネット発の米津玄師さん、アニメソングや声優ユニット、さらに映画「シン・ゴジラ」や「ピコ太郎」などの歌以外の流行も絡め、紅白は、多様化の進む音楽シーンの現状を紹介する番組になりつつあります。

 社会の変化への対応も課題です。例えば、性的マイノリティーの権利が注目される今、「男女対抗」の形にどこまでリアリティーがあるのでしょうか。でも、その形式をなくせば他の大型歌番組との違いを出せない。紅白の根幹に関わる問題です。

 ただ、今この時代に四割の人が見ている紅白は、テレビ最後のとりでです。ネットに押されながらも「今みんなで一緒に見ている」というテレビの魅力を示す上で意味の大きい番組です。 (聞き手・谷岡聖史)

 <おおた・しょういち> 1960年、富山県生まれ。東京大大学院満期退学。専門はテレビ文化論。『紅白歌合戦と日本人』『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』など著書多数。

 

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