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【考える広場】

文系なんか要らない?

 文系、特に人文社会学系の研究者たちが危機感を募らせている。文部科学省が国立大に同系学部の廃止や転換などの改革に努めるよう求めてから五年。今、大学はどうなっているのか、どこへ向かうべきか。

 <国立大の組織改革> 文部科学省は2015年6月、国立大法人の第3期中期目標・中期計画(16〜21年度)の策定に向けて、「国立大学法人等の組織および業務全般の見直しについて」という通知を各法人に送った。国立大に求められている社会的役割として、世界における日本の競争力強化や科学技術の革新、グローバル人材の育成などを指摘。人文社会科学系と教員養成系の学部・大学院については「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう」求めている。

三木義一さん

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◆大学は幅広い学びを 前青山学院大学長・三木義一さん

 政府は国立大に文系学部を縮小させるよう促しているようです。背景には、日本の大学が世界のランキングで順位を落としていることがあります。上位は、米マサチューセッツ工科大など理工系が多いです。しかしそれは目先の利益にとらわれた議論であり、大きな間違いと言わざるを得ません。国公立が文系学部を縮小するなら、私立にはチャンスですね(笑い)。

 なぜなら、理系の研究者にとっても、文学をはじめとする幅広い学びや教養が大切だからです。研究者たちは、新しい技術をいち早く世に出そうと、一分一秒を争っています。そういう競争の世界で研究に行き詰まったとき、どうするか。ほかの世界を見ることがとても大きな意味を持ちます。違った発想が生まれるからです。

 近年、日本では多くのノーベル賞受賞者が出ています。彼らが大学に通っていた数十年前には、教養教育がありました。それは、かつての教育が正しかったということなのではないでしょうか。

 文系は役に立たないとよくいわれますが、今、無駄に見えるものが次の時代を切り開くこともあります。例えば、立命館大の白川静名誉教授。ひたすら古代文字を研究し、当初は半ばばかにされていたそうですが、後に漢字教育などに広く活用される白川フォントを生み出すなど偉大な功績を生みました。

 大学時代というのは、思考力形成の時期です。私は大学一年の時、本を百冊読むことを実践しました。本を読んで発想を広げること、自分なりに問題意識を持って取り組むことをすべきです。それが役に立つかどうかは気にしなくていい。

 もちろん、文系学部も変わる必要はあります。しばしば、隔絶されたままの世界で研究をしている場合が見受けられるのは事実です。趣味ではなく学問である以上、時代の変化を見ることも必要。新しいものが社会に影響を与えているなら、それを反映させた研究をすべきでしょう。人間は環境の生き物なのですから。

 最近では、大学で使えるお金がどんどん削られています。しかしそれでは、優秀な人材が生まれるとは思えません。異なる分野の学問が影響を与え合い、研究されてこそ、新しいものが生まれる。大学はそのような多様性を確保する場であるべきなのです。

 (聞き手・新居真由香)

 <みき・よしかず> 1950年、東京都生まれ。専門は税法。2010年から青山学院大法学部教授。15年12月から19年12月まで同大学長。近著は『税のタブー』(集英社インターナショナル新書)。

竹内健さん

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◆AI化、理系こそ危機 中央大理工学部教授・竹内健さん

 企業で半導体の研究・開発をしていた二〇〇一年、米スタンフォード大に留学して経営学修士(MBA)を取得しました。そのころ日本の半導体業界は、国際競争の中で傾き始めていました。技術だけでは勝てないのではないか。そんな思いもあって、専門の技術関係ではなく、MBAを選びました。当時としては珍しいケースでした。

 MBAのコースでは経済、財務などのほか、心理学も学びました。組織内の人間関係や運営に関する実践的な授業もありました。文系の人には普通かもしれませんが、理系の私には新鮮でした。その経験は今、役立っていると思います。

 技術者なら優れた技術を開発するのは当たり前で、問題はその先です。中小企業やベンチャー企業が、銀行やベンチャーキャピタルから資金調達する場合を考えてみます。金融関係者は技術の専門家ではないので、技術者には彼らに分かるよう説明し、説得する力、いわば「文系力」が必要になります。

 大学の教員も中小企業の経営者に似ています。私の仕事の大半はマーケティングや営業です。学生に自分の研究室に来てもらうため、求人・採用のような仕事もあります。人、モノ、カネを集める。それが研究者の仕事です。

 一方で、大学で重要なのは原理原則の学問だと考えています。理系で言えば、今は人工知能(AI)がはやっていますが、ブームはいつか終わる。大事なのはAIの基礎になっている線形代数という分野を学ぶことです。文系でも、長く続いている学部や学科は残るでしょう。例えば哲学や文学、経済学などです。理系でも文系でも普遍的な学問は残るはずです。危ういのは、流行に乗って新設された学部・学科です。

 もともと学問に理系・文系の区別はなく、便宜上、分けられたものです。ところが今は、高校の段階で社会や理科が選択制になっています。大学の専攻も細分化しています。狭い分野のことしかできない人が育成されているように感じます。

 技術は自動化の方向に進みます。技術者は、自分が開発した技術によって仕事を失う恐れもあります。AI化が進んだ社会で最後に人間に残されるのは何か。案外、文系的な仕事かもしれない。理系の人の方が大変ではないかと思っています。

 (聞き手・越智俊至)

 <たけうち・けん> 1967年、東京都生まれ。博士(工学)。東京大大学院工学系研究科修士課程修了後、東芝に入社。フラッシュメモリーの開発を担当。2007年、東京大准教授。12年から現職。

冨山和彦さん

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◆現代的な教養教育に 経営共創基盤代表取締役CEO・冨山和彦さん

 かつて「東大の大教室で五百人の学生にシェークスピアの講義をしても何の意味もない」と言って物議を醸したことがあります。誤解されましたが、シェークスピアもその研究者も否定するつもりはありません。日本的教養教育への異議申し立てとして、そう述べたのです。

 教養教育、英語でいうリベラルアーツとは何でしょうか? アートとは技法。つまり、人間がよりよく生きていくための知の技法を教えることです。貴族の教育として一対一で教えたもの。シェークスピアを読み「君は善と悪をどう考える?」などと問答する。大教室でうんちくを披露するように教えるものではない。

 それに本来のリベラルアーツが、大学への進学率が六割近い今の時代にふさわしいか。いかに生き、死ぬかを考える哲学や文学などの人文科学に意味があることは否定しませんが、現代的なリベラルアーツを再定義、再構成すべきです。

 一番転換が求められるのは文系学部です。研究機関としては今まで通りでいいですが、教育機関として改革が必要。文系の学生は大学の四年間をモラトリアム(猶予期間)と考えがち。これでは就職氷河期の不幸がまた起きる。生きていくためのスキルを教えるべきです。

 例えば英語。まず語学としての英語を訓練する。それも多様な形で。グローバルに活躍しようという人が英語で論文を書いたり契約交渉をしたりする語学と、ローカルな場所に根付いて生きようという人が英語で来日外国人とコミュニケーションする語学は違うでしょう。

 それを私はG型とL型と名付けました。この二つには上下はありません。むしろ、今後はLの方が大事です。そういう多様性に対応する教育をそれぞれの大学が用意すればいい。

 ほかには、福沢諭吉が指摘しているように簿記会計も重要です。商売をするのなら、これが分かっていないとお金の出入りをコントロールできない。

 これには「大学はすぐ役に立つものばかりを教えるべきではない。それはすぐに役に立たなくなる」という批判が来ました。では「すぐ役に立って、かつ、ずっと役に立つものは何ですか」と問いたい。語学はまさにそれ。実は簿記会計もプログラミングも言語ですから、一種の語学。これこそ普遍的で、最強のリベラルアーツなのです。

 (聞き手・大森雅弥)

 <とやま・かずひこ> 1960年、和歌山県生まれ。2007年に経営共創基盤を設立。多くの企業の経営改革に携わり、大学では東京大、広島大などの顧問を務める。近著は『社長の条件』(共著)。

 

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