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【考える広場】

まだこれからだ 回り道の人生

 バブル崩壊後の就職難に見舞われた就職氷河期世代への就労支援が始まった。世の中、挫折を知らずストレートにキャリアを積んでいく人ばかりではない。回り道でも、人生まだこれからだ。

 <就職氷河期世代への就労支援> バブル経済崩壊後の2000年前後は求人数が急減し、1999年度の大学新卒者の就職率は91・1%にとどまった。非正規社員となる人が増え、社会的な問題に。政府は昨年6月、この世代の正規雇用者を3年で30万人増やす目標を掲げた。国や地方自治体でこの世代向けの採用試験も実施され始めた。

◆「氷河期」人生の重し 兵庫県宝塚市職員・木村直亮さん

木村直亮さん

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 就職氷河期と言われた一九九九年に大学を卒業しました。それから約二十年間で七つの仕事を経験し、今年一月に宝塚市の正規職員になりました。

 大学四年時の就職活動では、満足できる結果を得られず、もう一年大学に行って就職活動をしました。二年間で合わせて百社ぐらいに応募しました。

 手応えはあっても、結局は不採用。その連続でした。自分の準備不足だと反省はしても、何が足りないのか分からない。先が見えない状態でした。自分を否定されているようで、精神的にきつかったですね。

 内定をもらえないまま卒業し、始めた仕事は雑貨店のアルバイト。翌年には、コンビニエンスストア本部に正社員として採用されました。しかし、休日や勤務時間外でも電話が入り、帰宅しても自宅で深夜まで事務作業を強いられることが続き、パワハラも重なったので三年で辞めました。国の出先機関で非常勤職員として働いた経験もあります。契約更新の時期が近づくと毎年、憂鬱(ゆううつ)で不安でした。

 その頃気付いたのは、自分はスキルアップできていないということです。安定した職に就くためには専門知識を持つ必要があるのではないか。そう考えて社会保険労務士の勉強を始め、二〇一一年に合格しました。それでも、仕事は非正規でした。

 景気が上向きの時に就職活動をした人たちは、複数の会社から内定をもらっていました。私たちは違いました。でも過去のことを言っていても仕方がない。前向きに生きていこう。そう考えるようになったのは三十代の後半です。仕事のことでは親や周りの人にずっと心配をかけたし、同窓会にも行けなかった。仕事は人生の重しのように感じていました。

 国が氷河期世代の就職支援を始めると聞いたときは「良かった」と思いました。氷河期世代は、社会からこのまま忘れ去られるのだろうと思っていたからです。非正規、無業者だけの問題ではなく、正社員でも劣悪な労働条件で働いている人がいます。その人たちにも光を当ててほしいと思います。

 今は、新しい仕事を覚えるのに精いっぱいですが、市民と接する職場で、やりがいを感じています。住みよい街、好きになってもらえる街になるよう、私の力や経験も生かせればいいなと思っています。

 (聞き手・越智俊至)

 <きむら・なおあき> 1974年生まれ、奈良県出身。関西の私立大で商学を学ぶ。宝塚市が就職氷河期世代を対象に昨年行った職員採用試験に合格した。1635人が受験し、合格者は4人だった。

◆志持てば道は開ける 宮城学院女子大学長・平川新さん

平川新さん

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 中学卒業後に就職しました。進学しなかったのは経済的な問題ではありません。成績も悪くなかった。でも受験勉強が嫌だった。何よりも、何のために進学するのか分からなかった。

 そこで思い出したのが、郷土の英雄石橋正二郎さんの話です。学歴もないのに世界的な企業ブリヂストンを創業した。だから実力主義の会社なんだと。そこで自分を試してみたいと思ったのです。

 ところが実際に入社すると、中卒では主任がせいぜいという現実が見えてきて三年で辞めました。その後、自動車の整備工場、建設業の業界新聞と職を転々。すぐに辞めてしまう自分を嫌悪したことがあります。どこの会社も単なる歯車扱いしないで応援してくれたのに。

 その結果、働きながら定時制高校で学ぶことができたんです。先生や仲間と政治談議、文学談議の日々。いっぱい本も読みました。やがて卒業が近づいて、もう行く場所がないんだと寂しくなりました。

 そこで「大学に行きたい」と思うように。定時制で影響を受けた世界史の先生がエジプトの象形文字を研究していたので歴史への関心が高まり、英語ができないから日本史をやろうと。

 受験勉強をしていないので試験のない法政大の通信教育部に入学。二年生の時に文学部への転部試験に合格し、古文書研究会というサークルに入りました。くずし字を勉強するうちにだんだん読めるようになって「これが勉強することか」と得心。古文書解読にのめり込み、研究者の道に進みました。

 回り道をしたように見える僕の人生を知った方からよく「苦労されたんですね」と言われます。でも、好きなことをやってきたら、やりたいことを見つけちゃっただけでね。本当に成り行き(笑い)。

 社会がそういう人間を支えてくれました。ターニングポイントには常に誰かがいてくれた。年金を受け取る年齢になって初めて知ったのですが、自動車整備や業界紙の会社で働いた短い期間の分もちゃんと入っていたのです。働く人間を大事にしようという思想があったのでしょう。今は非正規雇用が増えて、そういう思想も忘れられてしまっていないか危惧します。ただ、これだけは言えます。どんな時代であろうと、志を持てば悲観的になることはない。道は開けると。

 (聞き手・大森雅弥)

 <ひらかわ・あらた> 1950年、福岡県生まれ。東北大名誉教授。専門は日本近世史。2019年に『戦国日本と大航海時代』(中公新書)で和辻哲郎文化賞。近著に『仙台藩のお家騒動』(南北社)。

◆挫折と希望、表裏一体 東京大社会科学研究所教授・玄田有史さん

玄田有史さん

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 二〇〇五年から仲間たちと共に「希望学」の研究を始めました。今は人手不足ですが、〇〇年代初めは仕事がなく、就職難の時代。就職氷河期です。仕事に限った話ではなく、社会に希望がない状況でした。

 希望学を始める前に私は、ニートの研究をしていました。ニートは意欲や能力がない人とみられていましたが、そうではない。働くことや未来に対して希望が持てない社会や時代の象徴がニートではないか。希望は、個人の心の持ちようの問題ではなく、社会に関わっている。そう考えました。

 希望学の研究を進めるうち、いろいろなことが分かってきました。一つは、希望を語る人の多くは、過去に挫折経験があるということです。年配の方がよく「人生に無駄なことは何もなかった」と言います。死ぬほどつらいこともあったけれど、そこから得たことも多い、と。困難や苦難を経験した人でないとつかめないものもあるということだと思います。

 アンケートの結果、仕事を始めて五年以内に挫折を経験し、それを乗り越えた人は、挫折を全く経験しなかった人よりも現在の仕事にやりがいを感じていることも分かりました。挫折と希望は深く関係しています。

 希望は多くの場合、失望に変わります。しかし、失望から見いだせる新しい希望もあります。希望は実現すること、かなうことも大事かもしれません。ただ、それ以上に重要なのは、もがきながら探し続けること、育むこと、紡ぐことです。そのプロセスに価値があるのです。

 目先の損得にこだわり過ぎないことも大切です。そもそも何が自分にとってベストなのか、よく分からないし、状況も変わります。損得勘定を超えたところに「遊び」のようなものを持つことです。目標に向かって一直線に進む人生は、効率的ですが、面白みがありません。ときには寄り道をしてみる。回り道は不安ですが、そこで出会える希望もあります。

 日本は新卒のときに人生のチャンスが集中する国です。逆にそこを逃すと一生しんどい思いをすることもある。就職氷河期世代の人にはチャンスが少なかった。彼らの責任ではなく、日本の雇用システムの構造的な問題です。でも、やり直しは利きます。それを応援する社会であってほしいと思います。

 (聞き手・越智俊至)

 <げんだ・ゆうじ> 1964年、島根県生まれ。博士(経済学)。専門は労働経済学。『希望学1〜4』(共編著)『希望のつくり方』『人間に格はない』『30代の働く地図』(編著)など編著書多数。

 

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