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【文芸時評】

三国美千子「いかれころ」 須賀ケイ「わるもん」 佐々木敦

三国美千子さん

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 文芸誌三誌で新人賞が発表された。まず新潮新人賞の三国美千子「いかれころ」(『新潮』11月号)は、昭和五十八年、ということは今から三十五年前の大阪、河内で農業で生計を立てている旧家を舞台に、当時四歳の奈々子の視点から、家族や親族のさまざまな相克が描かれる。

 奈々子の母、久美子は当主の長女だが、夫の隆志を婿入りさせるかわりに、本家からさほど遠くない場所に新しい家を建ててもらい家族三人で暮らしている。久美子と隆志の仲は良くない。隆志は学生時代の政治運動のせいで就職差別を受け、渋々ながら農家の養子に入ってやったのだと、どこまで本当かはわからないが嘯(うそぶ)き、夫婦は喧嘩(けんか)が絶えない。

 隆志は教員の仕事が終わってもなかなか家に帰ってこない。久美子は癇性(かんしょう)で、しばしば奈々子にも当たる。久美子の妹、つまり奈々子の叔母の志保子は頭が良過ぎて精神を病んだことがあるといわれ、いつも何が入っているのかわからない黒ずんだかごを提げているが、奈々子は叔母のことが好きだ。志保子に縁談が持ち上がったことから物語は動きだす。

 情景や人物の動作の描写が瑞々(みずみず)しくも丁寧なのが好ましい。しかし四歳の幼女にここまで見えているのか、言葉に出来るものかと思っていると、途中から奈々子の視線に数十年が経過して中年女性となった彼女の視線が紛れ込んできて、ああそうだったのかと腑(ふ)に落ちる。ノスタルジックな作品のように見えて、作者は現在を生きている。

 欲を言えばもう少し、この設定が壊れてしまうほど危険なところまで踏み込んでしまってもいいのではと思う部分もあった。まだ自分の小説の世界に対して遠慮がある。次作ではもっと思い切って、この作品に明らかに潜在する死や狂気に迫ってほしい。

須賀ケイさん(c)中野義樹

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 不思議な偶然だが、すばる文学賞受賞の須賀ケイ「わるもん」(『すばる』11月号)も、幼い子供の視点から書かれている。こちらはもっと徹底していて、読者は幼稚園児の「純子」の視界と思念を通してしか物語の内実を知ることが出来ない。純子には鏡子と祐子という年の離れた姉がいる。

 やはり両親の仲は微妙で、硝子店の主人であるはずの父は中盤に忽然(こつぜん)といなくなり、また現れる。「わるもん」とは父親のことらしいのだが、何が起こったのかよくわからないままで、そこが面白い。語りのあちこちに穴が開いている。しかし、わざと開けた穴と知らぬ間に開いていた穴の区別は、まだちゃんとついていないようにも見える。いろんなものが書けそうな人だが、くれぐれも企(たくら)みに溺れないように。

 文芸賞は二作、日上秀之「はんぷくするもの」と山野辺太郎「いつか深い穴に落ちるまで」(いずれも『文芸』冬号)。

 前者は被災地でプレハブを建てて仮設店舗を営んでいる男の物語で、冒頭の一文が「毅(つよし)は手を洗わなければならなかった」とあるように、彼は一種の強迫性障害である。毅の行動も彼を取り巻く人物や事件も、彼の病んでしまった心というフィルターを通して描かれる。その結果、この小説は奇妙な距離感覚と迫力を獲得している。

 後者は、日本からブラジルまで地球を貫通する深い穴を掘ろうとする話で、科学を無視した荒唐無稽な設定が大真面目に語られる。ただそれだけなのだが、単なるホラ話とは違う含蓄がある。絶対ありえないということだけは脇に置いて、作者自身がこの偉業(?)の意味をひたすら考えている。

 『文芸』冬号から二編。赤坂真理「箱の中の天皇」は、あの『東京プリズン』の流れを組む意欲作である。

 作者自身に限りなく近い「わたし」は、母親と横浜の古いホテルに泊まった折、時空を超えて別の「わたし」となってマッカーサーの亡霊と出会い、謎の老女から二つの箱を渡される。物語はやがて、今上天皇の「お気持ち」をめぐって収束してゆく。「わたしは天皇のように行動できるか、わたしが天皇だとしたら、どう行動するのか」という問いは重く鋭い。作者が等身大のまま歴史と現在に真摯(しんし)に向き合った日本論であり、天皇論である。出来るなら次はもっと長大な作品を読みたい。

 高山羽根子「居た場所」は紛れもない傑作である。遠い異国からやってきた「小翠(シャオツイ)」と夫婦になった「私」は、妻が日本に来る前、生まれ故郷の島から出て来てしばらく住んでいたという母国の街を彼女と一緒に訪ねる。

 こう書くといかにも普通の物語みたいだが、読み進むうちに世界は奇怪に変容し、無数の謎に満ち満ちた実相を露(あら)わにする。そもそも小翠が「私」と同じ人間であるのかどうかさえ定かではなくなっていく。卓抜な幻想小説であり、一種のSFでもあるが、そんなジャンル分けはこの際どうでもよい。これはちょっと今まで読んだことのないような新鮮な小説である。平易な語り口と繊細な描写の中から名状し難い何かが立ち現れる。その「何か」は怪物のように思えるのだが、しかしすこぶるチャーミングなのだ。

 (ささき・あつし=批評家)

 

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