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【文芸時評】

高瀬隼子「犬のかたちをしているもの」 ほか新人賞受賞作 佐々木敦

◆難問どうなる?に関心

 今年も新人賞の季節がやってきた。すばる文学賞は高瀬隼子(じゅんこ)「犬のかたちをしているもの」(『すばる』11月号)。三十路(みそじ)を迎える女性の「わたし」には郁也という恋人がいる。もう三年付き合っているが、セックスレスになって久しい。「わたし」は男性と恋愛関係になって数カ月すると決まって性交が疎ましくなるのだ。過去の恋人たちはそれで去っていったが、郁也はそうではなかった。だが突然、ミナシロという女性が現れ、郁也の子を妊娠していると告げる。体だけの関係だった筈(はず)が誤って妊娠してしまったのだという。

 ミナシロは出産はするつもりだが子供を育てる気はないので「わたし」と郁也に育てて欲しいと言い出す。あまりに理不尽な申し出に当惑と憤慨を隠せない「わたし」だが、郁也もそれを望んでいるようだ。「わたし」は子宮に病気を抱えている。それが性交への嫌悪と関係があるのかどうかはともかく、降って湧いたような難問に「わたし」がどんな答えを出すのか、そして結局どうなるのか、という関心を維持しながら読み終えることが出来(でき)た。とはいえ、人物設定も物語の展開もかなり通俗的で予想の範囲を逸脱することがないまま進んでしまう。もっとも良いのは題名だが、犬という隠喩も内容的にはあまり効いていないような気がしてしまった。

◆中西智佐乃「尾を喰う蛇」 介護の切実さが伝わる

 新潮新人賞は中西智佐乃「尾を喰う蛇」(『新潮』11月号)。大阪の病院で介護福祉士として働く三十五歳の「興毅」の視点から、老人介護の実態がつぶさに描かれてゆく。興毅は家族との軋轢(あつれき)や将来への不安もあり、行き場のない焦燥を抱えている。綺麗(きれい)ごとでは済まない介護の現場のディテールは非常にリアルで、雰囲気に逃げない確実さを感じた。

 入院患者のひとり、年齢から採られた「89」というあだ名で呼ばれている老人は認知症が進んでおり、やたらと癇癪(かんしゃく)を起こしたり若い女性介護士の体に触れたり、時には暴力をふるったりする。興毅は「89」が時々口走る戦時の行為への謝罪とも取れる謎めいた言葉に興味を惹(ひ)かれるとともに、彼を力で屈服させることに密(ひそ)かなよろこびを感じるようになってゆく。主人公の鬱屈(うっくつ)が次第に歪(ゆが)みを帯びてゆくさまはよく書けているが、結末が物足りない。題名もありきたりである。ただし選考会で論議になったという「89がしたことは何だったのか」が最後まで明らかにされない点は私はむしろよいと思った。自分の意志ではなかった、仕方がなかったのだ、という自責と裏腹になった自己正当化が興毅に伝染してゆくのがこの小説の肝であるからだ。

◆宇佐見りん「かか」 言葉が走り熱っぽい

 文藝賞(『文藝』冬号)は二作。宇佐見りん「かか」は自分を「うーちゃん」と呼ぶ娘の語りによって、心を病んだ母親=かかとの長年の相克が描かれる。かかの喋(しゃべ)りに由来するという不思議な方言(?)で全編が語られるのが面白い。だが現在時と回想の織り交ぜ方は少し乱雑に感じた。弟の「みっくん」を「おまい」と呼んで語りかける二人称の話法もあまり整理されておらず、率直に言うと失敗していると思う。だが読み心地は悪くない。言葉が走り出した時の熱っぽさが良い。最後の段落はもう少し練るべきだったのではないか。

◆遠野遥「改良」 最初の挿話、出来良く

 遠野遥「改良」は、女装趣味を持っているが異性愛者の二十歳の「私」が酷(ひど)い目に遭う話である。最初に置かれた挿話がとてもよく書けていて期待して読んだのだが、後半に向かうにつれて筋立てに呑(の)み込まれていってしまう。「私」のどこか遠近法の狂った自己認識のありようが面白いのに、小説を終えるために事件を起こしており、それゆえに凡庸な結末になっている。あと五十枚位足してもよかったと思う。

 『すばる』の木村友祐「幼な子の聖戦」は田舎の選挙戦の顛末(てんまつ)を描いた滑稽で陰惨な物語で、この作家らしいストレートな「現実批判」が随所に挟まれるのも含め、さすがに読ませるが、ラストシーンを冒頭に持ってこなくてもよかったのではないか。読者が結末を知らないまま読み進むほうが効果的だったと思う。

 (ささき・あつし=批評家)

 

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