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【経済】

米倉弘昌さん死去 元経団連会長

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 元経団連会長で、元住友化学社長の米倉弘昌(よねくらひろまさ)さんが十六日、肺炎のため死去した。八十一歳。神戸市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻一恵(かずえ)さん。お別れの会を後日開くが、日時や場所は未定。

 二〇一〇年から一四年まで経団連会長を務めた。国際派として知られ、政治的に冷え込んだ中国、韓国との関係改善に努めた。一一年の東日本大震災では被災地の自治体とホットラインを結んで物資の支援に尽力した。

 東大法学部を卒業し、一九六〇年に住友化学工業(現住友化学)に入社。常務、専務を経て〇〇年から社長、〇九年から会長を務め、一四年六月に相談役に就いていた。サウジアラビアの王族と人脈があり、石油化学プラントを現地に建設するなど事業拡大の礎を築いた。

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故では「間違った陣頭指揮は混乱を起こすもとだ」と当時の菅直人首相の対応を批判し、後手に回った風評被害対策を急ぐよう促した。

 日本政府による一二年の尖閣諸島国有化で悪化した中国との関係改善が日本の経済成長につながるとの思いから、人脈をたどって改善の糸口を探った。今年七月に署名した日本と欧州連合(EU)の経済連携協定(EPA)では、実現に向けて情熱を傾けた。ドイツやベルギーに頻繁に足を運び、EUの首脳らに日本の経済界の思いを説いた。

◆首相に直言 信念の経営者

<評伝> 十六日に死去した経団連元会長の米倉弘昌さんは「国民とともに歩む経団連」をモットーに、「経済成長の実行役である民間の力を高める」ことを目標に掲げた。時の首相にも直言し、信念を持ったリベラルな経営者だった。 

 住友化学工業(現住友化学)では、早くから「国際派」として知られた。二〇〇〇年に社長に就き、サウジアラビアの国営石油企業と合弁で石油精製・石油化学の一貫プラント建設に合意、住化の海外展開を本格化させた。一〇年に経団連第十二代目の会長に就いた。

 記者が米倉さんを取材したのは、経団連会長時代だ。出身母体の住友化学が、これまでの会長出身企業と比べ売り上げが小さいことを指摘すると、「そんなことは関係ない」と一蹴し、「もっと建設的な話をしよう」と返された。的を射ていない質問には「TPOをわきまえてくれ」と答えてくれなかった。

 自由な発言は時に政権への直言となり、ぎくしゃくした関係に陥ることもあった。一二年末に発足した安倍晋三政権には支援姿勢を打ち出したものの、対中国政策や金融政策では安倍氏に対し、批判的な発言を繰り広げた。そうした姿勢が疎まれたのか、経団連会長の“指定席”だった政府の経済財政諮問会議の民間議員には推されなかった。

 一四年に経団連会長を退任。叙勲の際には、孫が中国語を勉強している話を披露し「自分も中国語を勉強している」と笑顔で明かすなど、晩年は「よねじい」の愛称がぴったりだった。 (中沢幸彦)

 

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