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【経済】

飯舘牛、8年ぶり復活 震災後初出荷 福島復興に追い風

出荷を前に、和牛の手入れをする小林さん=福島県飯舘村で(池尾伸一撮影)

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 福島県飯舘(いいたて)村で、地元産の和牛「飯舘牛」の肥育に取り組んできた農家が震災後初めて肉牛の出荷にこぎつけた。東京電力福島第一原発事故による放射能汚染の被害を受けた同村で、肉牛出荷は八年七カ月ぶり。避難解除されても依然、住民の二割しか戻らない同村だが、和牛という一番の特産品復活のメドがついたことは復興の追い風になりそうだ。 (池尾伸一)

 青空がすみ渡った先月十七日。飯舘村の肥育農家・小林稔さん(67)が、つやつやした毛並みの三頭の巨大な黒毛和牛を牛舎から出しトラックに載せた。被災、自身の病気などさまざまな苦難を乗り越え、育て上げた。

 「安全な牛がこの村で育てられることが証明できたのが何よりうれしいね」。小林さんはほっとした表情。県中央部の市場に向け車を出発させた。

 放射性物質は県による血液検査で「ND(検出限界値未満)」と、汚染の心配がないことが証明された。市場での格付けも二頭が最高級の「A−5」ランク。競り落とされた価格も被災前と変わりなかった。

 標高五百メートルの高原が広がる飯舘村。飯舘牛ブランドの和牛産地として知られ、二百三十軒の育牛農家があった。だが、震災直後の原発事故による汚染で全村民が長い避難生活に追い込まれ、畜産も壊滅した。小林さんも避難先の宮城県で牛を育ててきたが、二〇一七年三月の避難解除と同時に帰村、育牛に挑んできた。

 「最も神経を使ったのが安全な牛を育てること」と言う。放射能汚染の可能性を排除するため牛舎は建て替え、牛に飲ませる水はボーリングして地下水を使った。さらに、隣家の敷地の林も、木の葉がエサに混じらないよう、許可を得て伐採しさら地にした。

 病との闘いも。昨年人間ドックを受けたところ、血液の病気が判明。年初から五カ月間、福島市内の病院に入院し移植手術や抗がん剤投与など厳しい治療を受けた。退院時は筋肉が落ち、歩くことも困難だったが、夏からは牛の世話ができるように。その間、牛は宮城で畜産を営む長男が預かってくれた。

 かつて五千五百人が住んでいた村だが、戻ってきたのは千三百人だけ。中でも若い人はほとんど戻らない。

 小林さんは村民から借りた土地を、太陽光発電に活用する「飯舘電力」も社長として主導してきた。いまは育牛に専念するため会長に退いたが、太陽光発電所は村内約六十カ所まで増え、いまだ苦境にある村民の収入を補う。

 初出荷が順調にいったことで、現在十七頭の牛を来年は三倍の五十頭まで増やす計画。村によると、小林さんに続き近く別の農家が肥育を再開する。「いま必要なのは、村できちんと収入が得られるのを示すこと。それが分かれば若い人も少しずつ増えていく」。小林さんは言った。

<飯舘村の育牛産業> 震災前は230軒の育牛農家が2800頭の牛を飼っていた。放射能汚染に伴う全村避難で育牛農家は廃業や他地域への移転を迫られた。避難解除後少しずつ村内に戻りつつあり11月現在、親牛に産ませた子牛を他地域などに売って収益を得る繁殖農家が8軒再開した。子牛を育て、飯舘村の地元ブランドの肉牛として出荷するまで育てる肥育農家はまだ小林稔さんだけだ。

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