東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 放送芸能 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【放送芸能】

「日本人」の感性に期待 沖縄民謡の巨匠2人がライブCD

2001年9月、東京・表参道でのコンサートで共演する知名定男(左)と登川誠仁=金子亜矢子撮影

写真

 沖縄民謡の巨星、登川誠仁(のぼりかわせいじん)(1932〜2013年)と弟子の知名定男(73)が共演したコンサートを収録したCD「ライブ!〜ゆんたくと唄遊び〜」が発売された。巨匠二人による情感たっぷりの歌に加え、軽妙なゆんたく(トーク)の端々には、戦争や米軍に翻弄(ほんろう)された沖縄の近現代史が垣間見える。 (原田晋也)

 CDは2001年に東京で開いたコンサートを収録。師弟二人の約40年ぶりの共演という貴重なステージだった。22曲を約8分間歌いつなぐ「民謡節渡り」や歌詞を逆さまに歌う「逆加那よー」などを披露、三線(さんしん)の技巧でも魅了した。

 トークで、登川が「ヤマトグチ(標準語)は、全然ゼロ。標準語よりは英語のほうが(得意だ)」と語る場面がある。若いころ、登川は沖縄の言葉で「戦果アギヤー」だった。「戦果をあげる者」の意味で、今年1月に直木賞を受賞した真藤順丈(しんどうじゅんじょう)の小説「宝島」の題材にもなった。米軍統治時代(1945〜72年)、米軍基地から物資を盗んでいた人のことで、腕のいい者は英雄視された。戦後は米軍の港湾作業員だった登川は、たばこや食料などの「戦果」をあげて生きてきた。

 知名はコンサート冒頭、「(以前の公演で)日本の皆さんこんばんは、と言ったことがある。沖縄は決して日本ではないという気持ちが常にどっかにあるもんですから、つい言ってしまうんでしょうね」と明かしている。18年経た今もそれは変わらないという。

 知名は、両親が出稼ぎに来ていた大阪で育った。幼少期は「オキナワ」と呼ばれて差別され、けんかばかりの日々だったという。飲食店に掲げられた「沖縄人お断り」と書かれた張り紙を覚えている。12歳の時、父と沖縄に「密航」した。当時の沖縄への渡航にはパスポートが必要だったが、出稼ぎで住民登録がない身では取得に長い時間がかかるため決行した。猛烈な台風の日に哨戒船をかいくぐり、小舟で命からがらたどり着いた。

 コンサートは、登川が作詞作曲し、沖縄の海の美しさや文化を歌い上げた「緑の沖縄」で締めくくられる。登川は観客に語りかける。「必ず沖縄にいらっしゃってくださいよ。どういうふうな島であるかということを(知ってほしい)」

 知名は今も「琉球は一国で、日本人とは別の民族だ」という誇りを持ち、基地が集中する沖縄の扱いに複雑な思いを抱く。しかし、今回のCDについて「反戦や平和といったメッセージというわけではない。まずは音楽を楽しみ、師匠の生き方を知ってもらい、聴いた人がそれぞれの感性で感じてほしい」と語った。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報