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【放送芸能】

<つなぐ 戦後74年>「プーク」90周年 戦禍をくぐった人形劇団

90周年記念公演「オッペルと象」の稽古風景=東京都西東京市のプーク花小金井アトリエで

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 現代人形劇を上演する集団としては国内最古の歴史を持つ「人形劇団プーク」が今年、創立九十周年を迎えた。その名を知らなくとも、NHK教育テレビ(現Eテレ)の子ども向け番組の人形やキャラクターなどプークの仕事ぶりに親しんだ人は多いはずだ。愛らしい人形たちの背景には、第二次世界大戦や治安維持法によって、活動を中止させられた壮絶な時代をくぐり抜けてきた先人の苦労があった。 (原田晋也)

 プークは1929(昭和4)年創立。当時のメンバーには後に東京新聞の編集局長を務めた土方正巳(ひじかたまさみ)もいた。戦前から戦後の困難な時代を耐えて、劇団の基礎を作ってきたのは、長年劇団を率いた川尻泰司(たいじ)(1914〜94年)だ。「川尻が大変な時代の苦労をくぐり抜けてきたことが、活動の原動力になったのかもしれない」。演出家で俳優の竹内とよ子(85)が偉大なリーダーを振り返る。

 大衆目線で社会風刺を含む人形劇は、戦争に向かう全体主義の社会では危険視された。台本は検閲され、有名な童話「裸の王様」は天皇制批判と受け取られて上演禁止となった。当局に目を付けられ「プーク」と名乗ることができず「パンチ座」や「お人形座」と名乗った時期もあった。

 戦争が激化すると、治安維持法違反容疑で団員が次々と逮捕され、活動停止に追い込まれた。川尻も逮捕され、獄中で終戦を迎えた。戦後に劇団を再建したが、連合国軍総司令部(GHQ)の検閲に引っ掛かったり、経営難に苦しんだりと苦難の連続だった。

 しかし、57年にベルギーの詩人で劇作家のメーテルリンク(1862〜1949年)の童話「青い鳥」の上演権を得て転機を迎えた。メーテルリンクは戦争を憎み「戦争を起こしたドイツと日本では自分の作品は上演させない」と遺言を残していた。遺族に反戦平和を貫いたプークの活動を説得したところ特別に認められ、日本初の公演を成功させた。これで経営的にも安定し、社会的にも評価が高まったという。

1980年代、インタビューにこたえる川尻泰司

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 川尻は劇団でカリスマ的な存在だった。21歳から劇団で活動している竹内は入団面接での川尻の言葉が忘れられないという。プークの劇に感動して受けた面接だったが、竹内は(1)家族らが反対している(2)演劇の経験がなく自信がない(3)人形劇では食べていけるか不安−と三つの悩みを打ち明けた。これに対して川尻の答えはこうだった。(1)は「物が動けば、空気は動く。あなたが何かやりたいと言ったら周囲がざわつくのは当たり前だ」。(2)には「才能は育てるものだ」。(3)には「プークに入って餓死した人はまだいない」。

 結局入団を決めた竹内は「情熱的で、ぐいぐい人を引っ張っていく。反対意見も出るが、そのうちみんななんとなく納得してしまう。そういう人でした」。

 71年には専門劇場が完成するなど、劇団は大きく飛躍した。戦後日本に人形劇文化を醸成させた川尻だったが、精神的に不安定になる時期もあった。家に1人でいることができず、飛行機や新幹線も1人で乗れなかった。どうしても移動しなければならない場合は劇団員が付き添ったが、移動中はひと言も発しなかったという。59年には「極度の神経障害」のため1年間劇団活動を休んだ。

プーク人形劇場=東京都渋谷区代々木で

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 それは戦時中の壮絶な体験の“後遺症”だったかもしれない。川尻は逮捕された時、殴られたり指の間に鉛筆をはさんで締められたりといった拷問を受けた。空襲の時は、身動きの取れない狭い獄舎の中で、小さな明かり取りから街が焼ける炎の光を眺めながらじっと座っていたという。「あれが影響しているのかなあ」。川尻がこう漏らしたのを竹内は覚えている。

 川尻が亡くなって25年。平和への思い、庶民の視点を大切にしながらプークは地道に活動を続ける。現在、地方公演も合わせ年間400回以上の公演を行い、多くの人を楽しませている。

◆29日から記念公演「オッペルと象」

 プークは8月29日〜9月1日、東京・新宿の紀伊国屋ホールで90周年記念公演「オッペルと象」を上演する。戦後第1回公演でも上演したプークにとって重要な作品。宮沢賢治の童話が原作で、傲慢(ごうまん)な地主オッペルの下で働かされる白象を通じて働くことや本当の自由を問う。

 8月26日には同所で、賢治の弟の孫、宮沢和樹さんを招いた講演会やミニコンサートもある。プーク=(電)03・3370・3371。

Eテレでおなじみ「いないいないばあっ!」人気キャラクターのワンワン

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<スタジオ・ノーヴァが人形や着ぐるみなどを手掛けた主な番組やCM> NHKEテレ「いないいないばあっ!」「新・ざわざわ森のがんこちゃん」「銀河銭湯パンタくん」「ムジカ・ピッコリーノ」「バケルノ小学校ヒュードロ組」▽フジテレビ系「ココリコミラクルタイプ(番組キャラクターのミラクルさん)」▽静岡ローカルのCM「米久『おいしい村の天気予報』」

<人形劇団プーク> 川尻泰司の兄、東次(1908〜32年)の東京・開成中学時代の同級生ら18人で設立。プークとはエスペラント語で「人形クラブ」を意味する「LA(ラ) PUPA(プーパ) KLU(クルー)BO(ボ)(英訳・THE PUPPET CLUB)」の略(PUK)。71年には東京都渋谷区代々木に日本初となる現代人形劇の専門劇場「プーク人形劇場」を設立。現在は「劇団プーク」を中心に、劇場運営などを担当する「プーク人形劇場」、映像・メディア部門の「スタジオ・ノーヴァ」の3法人で構成されている。

 

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