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【放送芸能】

潔さ、温かみ 没後1年 樹木希林の言葉響く

2015年5月、インタビューに答える樹木希林=東京都渋谷区で

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 潔く、温かく、ユーモラスに…。昨年9月15日に75歳で死去した個性派女優の樹木希林(きききりん)の語録や文章が今なお、多くの人の心に灯をともしている。「全身がん」を悲観せず淡々と自身を見つめ、自分らしさを貫いた生涯。その日々から紡ぎ出された言葉は“希林本”として相次いで世に出て、ベストセラーにもなった。10月にはドキュメンタリー映画の公開も控える。没後1年、樹木希林が発信する珠玉のメッセージとは。 (竹島勇)

 幸せというのは「常にあるもの」ではなくて「自分で見つけるもの」/「人は死ぬ」と実感できれば、しっかり生きられる 「一切なりゆき 樹木希林のことば」(文芸春秋)

 自分で<人>を見極めるためには、一人にならなければならない 「樹木希林120の遺言 死ぬときぐらい好きにさせてよ」(宝島社)

相次いで出版された樹木希林の関連本

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 飾らず温かい言葉が並ぶ“希林本”は、二〇一九年の出版界の一つのトレンドになった。昨年末に刊行され、発行部数百五十万部を突破した「一切なりゆき」を筆頭に、五十七万部の「〜120の遺言」など、いずれも生き方、達観した人生観などが盛り込まれた本はよく読まれた。

 なぜ、こんなに関心を集めているのか。

 過去の雑誌インタビューなどでの言葉をまとめた「一切なりゆき」を担当した文芸春秋の石橋俊澄編集委員は「八百ほどの言葉から選んだが、どれも潔く生に未練がない。しかも謙虚で面白く、元気になれる」と分析する。文春によると、大手書店チェーンの調査で、購入者の平均年齢は五五・六歳、78・5%が女性だった。読者が感想文を送ってくるのも特徴的で、母親ががんを患っているという小学六年生の男子からも「前向きに生きる気持ちになった」と寄せられたという。

1973年9月、内田裕也(右)と婚約発表記者会見=東京都港区で

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 八月以降も娘でエッセイストの内田也哉子(ややこ)との共著「9月1日 母からのバトン」(ポプラ社)、映画「万引き家族」などで仕事を共にした是枝裕和監督によるインタビュー集「希林さんといっしょに。」(スイッチ・パブリッシング)など五冊が出て、十冊になった(別表参照)。

 最晩年の仕事ぶりや暮らしに密着し、死の直後に放送されて反響を呼んだNHKスペシャル「“樹木希林”を生きる」に未公開映像などを加えた同名のドキュメンタリー映画(木寺一孝監督)が、十月四日から公開される(東京・シネスイッチ銀座ほか)。Nスペでの放送より長い、一時間四十八分の作品だ。関係者は「(描いたのは)女優の面だけでなく、生地から自分で服を作ったり、スタッフに手作りの梅干しを振る舞ったりと、日常生活を大切にする姿」と話す。

 八月には遺作となったドイツ映画「命みじかし、恋せよ乙女」(ドーリス・デリエ監督)が公開された。東京・日比谷の映画館で鑑賞した東京都墨田区の事務員の女性(65)は「あの人の生き方や言葉にうそはなく心に染みる。亡くなるまであの人らしかった」。千葉市の主婦、狩野朝子さん(83)は「内側からにじみでる人間としての品格にひかれた。(ロック歌手の故)内田裕也さんとの夫婦関係も特殊でしたが、お互いが良さを認めていたと思う。私も希林さんの生き方に近づきたい」と話した。

 そんな希代の女優の日常を体感できるイベントもある。東京・西武池袋本店西武ギャラリーで十月二〜十五日、企画展「樹木希林 遊びをせんとや生まれけむ展・完全版」が開催される。愛用品で「日常の部屋」を再現したコーナーや直筆の手紙など、趣味や心情が垣間見える趣向だ。

ドキュメンタリー映画「“樹木希林”を生きる」の中で化粧をするシーン

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◆消せない留守電 聞き返す「ばあば」の声 

2018年2月15日、「エリカ38」の撮影現場で浅田(右)の誕生日を祝う樹木

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 「ばあば」「美代ちゅあん」と呼び合う仲だった。女優の浅田美代子(63)は樹木と四十五年ほど家族のように付き合ってきたという。初盆の行事を七月に済ませ、十五日は一周忌。「まだ近くにいるような気がする」と穏やかに話す。

 親交はデビューした一九七三年のドラマ「時間ですよ」(TBS系)から。「私は本当に素人だったので演技には『ちゃんとしなさい』とよく叱られました」。でもかわいがられ、しょっちゅうお互いの家を行き来する仲になった。お互いの私生活もさらけ出し合って生きてきた。

 樹木の数々の言葉が思い出されるが、その中でも「良いことも悪いこともすべて自分が選んだ結果。他人のせいにはできないよ」が特に心に残っている。

 晩年の樹木はがんの身を押して浅田が主演した映画を初めて企画。自ら助演もした「エリカ38」(日比遊一監督)が今年六月に公開された。浅田に与えられたのは、詐欺で集めた金で年下の男と享楽的なひとときを過ごし破滅する中年女役。「あんたには人のいい、かわいい役ばかり来る。女優としての代表作を作りなさい」との配慮だった。

 「思いに応えられたとは思わないが、ばあばのような生き方ができるのはすごいと思う。自分の信念、言いたいことを言いながらユーモアも忘れない」

 長く別居した夫の内田裕也については「彼は純粋な人なのよ。面倒はかけるけど間違ったことはしない。私なんて女優の仕事はあるし、孫までいる、裕也さんの存在がなきゃ世間にねたまれちゃうよ」と笑いとばしていたという。

 「多くの人があこがれる生き方なんだと思う」。「美代ちゅあん、ばあばです…。用事じゃないのでもう寝ます」。浅田は寂しくなると、消去できずにいる留守番電話を聞き返す。

◆作家の下重暁子「死を受け入れる諦観の境地」見た

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 女性の生き方に関心を持つ作家で、日本ペンクラブ副会長の下重暁子(しもじゅうあきこ)=写真=は一七年十月、静岡県伊豆市であったペンクラブのイベントで面会した時の顔を見て、「波立たぬ水面(みなも)のようでした」と心から驚いたと明かす。病気に苦しみながらも仕事を続けていた日々に「死を受け入れる諦観の境地」を見た。地方でのがん治療を控えながらも、映画の撮影に臨んでいることを知った。「波乱の人生を彼女なりに生きてたどり着いた。私もそうありたいし、多くの方もあこがれている」と語った。

<きき・きりん> 1943年、東京都生まれ。文学座付属演劇研究所に入所後、テレビドラマ「七人の孫」に出演し、森繁久弥に才能を認められる。当初は「悠木千帆」の名で活動していたが、77年に改名。ドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」、フィルムのテレビCMなどの個性的な演技が話題になった。映画は「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」「悪人」「万引き家族」など多数出演。2013年、70歳の時に「全身がん」であることを公表。18年9月15日、都内の自宅で死去。夫で長く別居生活を続けたロック歌手の内田裕也は今年3月に死去した。

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