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【放送芸能】

<東日本大震災9年>被災地見つめ、発信 お笑いコンビ「123☆45」・イズミ/テレビユー福島・阿部真奈記者

 東日本大震災の被災地に暮らし、ずっと向き合っていく。多くの人々の人生や生活を変えてしまった「3・11」から九年。記憶の風化が懸念される折、被災地を見つめながら発信している二人の女性に会った。故郷に暮らし「笑い」で勝負する芸人。津波で家族を失い、メディアの取材禍に悩み苦しみながらも「伝えていくこと」を業にしたテレビ局記者。生き方を貫く二人の覚悟とは−。 (原田晋也)

◆テレビに出て、地元明るく お笑いコンビ「123☆45(イズミヨーコ)」のイズミ

「震災で考え方がガラっと変わった」と語るイズミ=岩手県野田村で

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 「おおぜいあずんで、しょうしでもえきぱりますので、よろしくおねげえします(大勢集まってくれて、恥ずかしいですが頑張りますので、よろしくお願いします)」−。お笑いコンビ「123(イズミ)☆45(ヨーコ)」のコントは、岩手県野田村出身でボケ担当のイズミ(37)による地元愛のこもった「東北なまりネタ」から始まる。

 注目を集めたのが、昨年十二月、日本テレビ系「女芸人No.1決定戦 THE W」。六百二十七組中の決勝進出の十組に残った。一度はコンビを解消し、再結成して挑んだ。お笑い界に復活したイズミの心には、大震災から抱き続ける「三陸を元気づけたい」という強い思いがあった。

 高校まで野田村で育ち、大学進学で東京へ。昔から人前に出ることが好きで、ある日「ふと思い立って」芸人を志した。ダンスサークルの先輩ヨーコ(40)を誘い、二〇〇八年から活動を始めた。「なまりネタ」が受け、地元のメディアにも取り上げられた。

 転機は東日本大震災。人口約四千人の野田村に最大十八メートルの津波が押し寄せ、三十七人が犠牲になった。東京でお笑いどころではない。いても立ってもいられず、帰省し炊き出しやがれき撤去のボランティアなどに明け暮れた。

2019年12月、コントを披露するイズミ(左)とヨーコ=東京都中野区のなかの芸能小劇場で

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 そんな日々、行く先々で声を掛けられたことが忘れられない。「テレビに出ている子か。いつも見ているから頑張れよ」。大変な思いをしているはずの村民が、逆に応援をしてくれる。自分にできるのは、テレビに出て地元に明るいニュースを届けることだ−。テレビに出るため「なまりネタ」一本に磨きをかけた。次第に結果はついてきた。

 しかし、気負いもあってか体調を崩し、思うように活動できなくなってしまい、一五年にコンビを解消。村で静養しながらローカルタレントとして活動したが、昔日の夢はくすぶっていた。テレビで後輩芸人を見ると、悔しさでチャンネルを替えた。

 体調も回復してきた一八年、「THE W」を見ながらヨーコに連絡を取った。「やってみない?」。既にネタ作りは始めていた。野田と東京を行き来する熱き日々が始まった。昨年末の放送後、三陸地方の視聴者から「地元の方言と同じで笑いました」など大反響が寄せられた。優勝は逃したが、悔いはない。「三陸に明るいニュースを届けるという一番の夢がかなった。伝わったかな、と思っています」。三陸を照らす“鉄板”のなまりネタを大切にしていく決意だ。

◆取材受ける苦悩が分かる テレビユー福島・阿部真奈記者

編集作業をする阿部記者=福島県郡山市のテレビユー福島郡山支社で

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 毎年この時期、いろいろな取材を受けてきた。「流された自宅前で、亡くなった家族の話をする阿部さん」「はかなげに自宅跡地を見つめる阿部さん」と、ドラマの脚本と見まがうような撮影項目を送ってくる人もいた。家族が亡くなった状況を必要以上に詳しく聞いてくる人もいた。取材前なのに、型にはめた展開で進めようと“予定稿”を持ってこられたこともある。

 福島県のローカル局、テレビユー福島の阿部真奈記者(25)はこの九年を思い起こす。「自分って、『3・11』の素材なんだな」と苦悩もした。それでも今、その経験を踏まえ、取材する側に立っている。

 宮城県女川町出身。十六歳だったあの日、津波で母と祖父、めいを亡くし、家も流された。悲しみや失意の中、地域の役に立とうと、町の臨時災害放送局「女川さいがいFM」で高校生パーソナリティーを務め、情報を発信するやりがいと重要性を感じた。周囲の勧めや支えもあり、猛勉強して慶応大に進んだ。

 こうした経歴から二、三月になると、マスコミの取材が殺到した。一日で三社の取材を受けたこともあった。三月十一日が過ぎると、パタリとなくなる。「私自身が見られていない。『3・11』に『被災者の阿部真奈』を切り取ろうとしている」と感じた。中には時間をかけて関係を築いてくれる人もいたが、傷つけられることも多かった。

 それでも進路としてマスコミを選んだのは、女川さいがいFMでの経験と「こういう経験があるからこそ、人に寄り添った取材ができるんじゃないか」という思いがあったから。現在は郡山支社で事件事故、スポーツ、郡山市政などあらゆる取材に奔走している。

 震災の被災者を取材することもあるが、安易に「私も同じような経験があるから分かります」という姿勢は取らない。津波で親を亡くした人、子どもを亡くした人、原発事故で生活が一変した人などそれぞれの震災がある。「同じ震災でも経験は絶対に共有できない」と感じているからだ。

 心掛けているのは、取材相手と一人の人間としてきちんと向き合うこと。「自分の思った型にはめず、相手に寄り添うのが一番」

 昨年の台風19号では福島県内も大きな被害を受け、あらためてマスコミの役割と責任を痛感した。「自分と同じように、家族を亡くしてつらい経験をする人を一人でも減らしたい」

 ◇ 

 阿部記者が取材した震災特集番組はYouTube(ユーチューブ)の「TUFchannel」で公開されている。

テレビユー福島の番組でリポートする阿部記者(YouTubeから)

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