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【イベント情報】

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笑顔で駆け抜けた 82歳「経験と意地」示す

 冷たい雨が体に打ち付ける悪条件下で行われた3日の東京マラソンは、市民ランナーら3万8000人がゴールを目指した。1年半後に五輪・パラリンピックの舞台となる都心は、健脚を競うランナーと応援の人たちでお祭りムードに沸いた。

完走メダルを手に「ボストンでも楽しく走りたい」と笑顔の下條道晴さん=東京都千代田区で

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 二週間前に熊本県でフルマラソンを完走したばかりの八十二歳は、五時間を超えるタイムでゴールした。東京都八王子市の下條道晴さん。目標の四時間五十分には届かなかったが「経験と意地」で走り切った。

 一週間ほど前、歩いていた時に左足にピリッと痛みが走った。寒さもあり、不安を抱えながらのスタートだった。「足の痛みは大丈夫だった」というが、終盤にペースダウン。それでも最後は粘りを見せた。

 六十歳で本格的にマラソンを始めた。「健康の尺度がタイムという形で分かる。毎日の練習の積み重ねと、走り終えた後の達成感が楽しい」と、その魅力を語る。自宅近くのグラウンドでトレーニングし、パート勤務している老人福祉施設までの約五キロを歩く。

 高校生の頃、一九五三年の米ボストン・マラソンで優勝した山田敬蔵選手に憧れていた。自身も六十八歳で初出場以来、同大会を十一回完走し、昨年は最高齢完走者に。もちろん今年も参加する。「いつまで出場できるか分からないが、楽しみながら完走したい」と語る。 (萩原誠)

◆五輪は支える側に

次は東京五輪・パラリンピックでボランティアに挑む中村博子さん=東京都千代田区で

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 東京駅前のゴール。主婦中村博子さん(45)=東京都三鷹市=は笑顔で駆け抜けた。ボランティアの励ましがあってこその完走だと思っている。二〇二〇年東京五輪・パラリンピックでは、ボランティアとして選手や大会運営を支えたいと願う。

 初めて経験したフルマラソンは一七年の東京マラソン。ボランティアの熱心さが心に残った。目を見て「頑張れ」と声を掛けてもらったおかげで「完走させてもらえた」と振り返る。

 支える側のことを知りたいと、昨春に皇居周辺の観光客に応対する「おもてなしランナー」の講座を受講。「ありがとう」の一言で誰かを幸せにできると気付いた。

 二〇年大会のボランティアにも応募した。五日にある説明会で、「心配りができるよう勉強したい」と意気込む。

 一人息子の中学受験が終わった後、突然「走ろう」と思い立った。それから六年余り。走ることを通して仲間ができ、ボランティアについて学び、世界が広がった。「自分が変わっていけることが楽しい」と話す。 (渡辺聖子)

◆車いす10キロ出場 亡き母思い力走「銀」

「レース終盤の追い風は母が吹かせてくれたのかな」と話す松川和史さん=東京・日本橋で

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 「おふくろが泣いてるんじゃないかな」。車いす男子10キロのゴールを2位で駆け抜けた川崎市宮前区の公務員松川和史(かずふみ)さん(57)は、そぼ降る雨を亡き母初枝(はつえ)さんのうれし涙に例えた。

 生まれつき骨が折れやすい難病で、幼少時から車いす生活。「女性ドライバーが珍しい時代、母は私の通学のために免許を取り、小学校から高校までずっと車で送り迎えしてくれた」

 スポーツに縁がなかったが、50歳を過ぎて車いすマラソンに出合う。「自分の力で風を感じられる。気分爽快で感激した」。6年前、両親の故郷・沖縄県でレースに出場。がんで闘病中の母は沿道から手を差し出し、走り抜ける息子の手とハイタッチした。「スポーツしている姿を、母は涙を流して喜んでくれた」

 翌年、母は81歳で亡くなった。しばらく走るのを控えたが「やめてもおふくろは喜ばない」とレースを再開。「もっと走っている姿を見せたかった」

 この日の銀メダル。仏壇の母には「(出場者が少なくて)タナボタで2位になったよと報告します」。謙遜交じりでほほ笑んだ。 (宇佐見昭彦)

 

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