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【連載小説「本心」】

本心<1>

写真

プロローグ

 一度しか見られないものは、貴重だ。

 月並みだが、この意見には、大方の人が同意するだろう。

 とすると、時間と不可分に生きている人間は、その存在がそのまま、貴重だと言える。なぜなら、生きている限り、人は変化し続け、今のこの瞬間の僕は、次の瞬間にはもう、存在していないのだから。

 実際には、たったこれだけのことを言う間にも、僕は同じでない。細胞レヴェルでも、分子レヴェルでも、それは明白だ。

 もっと単純に、僕が今、死にかけていると想像したなら? これだけのことを言う間に、刻々と病状が悪化し、結局、僕は終わりまで言い果(おお)せることなく、最後の究極の変化を――つまり死を――迎えてしまうのかもしれない。

 たった一行の文章の中でも、人間は変化しながら生きている。

 こうした考えに、果たして人は、踏み止(とど)まれるのかどうか。――

 今日、玄関先で見送った幼い子供の姿は、もう二度と見られない。学校から戻ってきた息子は、朝と似た、しかし、微(かす)かに違った存在なのだから。

 僕たちは、その違いが随分と蓄積されたあとで、ようやく感づくのが常だ。

 本一ページ分のインクの量を、僕たちは決して感じ取ることが出来ない。

 しかし、一万冊の本のインクなら、身を以(もっ)て実感するだろう。

 変化の重みには、それと似たところがある。勿論(もちろん)、目を凝らせば、その微々たるインクが、各ページに描き出しているものこそは、刻々たる変化だ。 

 人間だけではない。生き物も風景も、一瞬ごとに貴重なものを失っては、また、入れ違いに貴重なものになってゆく。

 愛は、今日のその、既に違ってしまっている存在を、昨日のそれと同一視して持続する。鈍感さの故に? 誤解の故に? それとも、強さの故に?

 時にはそれが、似ても似つかない外観になろうとも、中身になろうとも、或(ある)いは、その存在自体が失われようとも。――

(平野啓一郎・作、菅実花・画)

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