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【連載小説「本心」】

本心<64>

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第五章 “死の一瞬前”

 その分析の結果も資料にまとめられていたが、僕の表情認識は、大して難しくないらしく、喜怒哀楽を基本として、せいぜい、五つか六つ程度のパターンしかないらしい。

 どんな理由で気落ちしていたとしても、それが表れるのは、何となく浮かない顔でしかなく、何があって喜んでいたとしても、笑顔は笑顔なのだった。

 この単純な発見の何が僕にとって新鮮だったのかはわからない。考えるほどに当然のことだが、ともかく僕は、記憶の中の母の表情が、一体どんな思いと結びついていたのか、その可能性の茫漠(ぼうばく)とした広がりに、俄(にわ)かに心許(こころもと)なくなった。

 母が僕に、貯金を遺(のこ)すために安楽死を急いだという考えは、凡(およ)そ真実らしくなかった。――いかにも、赤の他人が思いつきそうな真実らしさが故に。

 僕は強く反発したものの、では母が、自分の存在が、社会の迷惑になるという考えに追い詰められていたという、他でもない僕自身の憶測(おくそく)は、どうなのか? それこそ、母の人生を記した本の一部に、どこかからコピー&ペーストされた文章が紛れ込んでいるような感じがした。

 いずれにせよ、貧困さえなければ、母がそんなことに思い煩う必要はなかったろう。ただ、社会が悪いというなら、僕は無傷のまま、それを憎むことが出来る。しかし、僕のために母が自らを犠牲にしたという考えは、僕自身の存在に、痛烈な疚(やま)しさの痣(あざ)を遺さずにはいなかった。

 富田は、だからこそ、僕が母の本心を否認するのだと考えていた。実際、貧しくなくとも、老後の財産を、早めに死んで子供に譲ることは、親ならば誰だって考えることだと。それは当人にとっては幸福なことであり、その決断は「立派」だと彼は言った。

 世間の風潮に流されて死を決断するというより、よほど説得的な理屈ではあるまいか。……

 安楽死の認可を得るためなら、医者に説明する理由は、何でも構わなかったのだと、一旦(いったん)は僕も考えた。けれども、それとて、母の性格からというより、状況から導き出された考えに過ぎなかった。

(平野啓一郎・作、菅実花・画)

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