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【1964年からの手紙】

公正に伝え 選手を守る ジャーナリスト・宮沢正幸さん

東京新聞時代の記事を前に前回の東京五輪を振り返る宮沢正幸さん=東京都文京区の拓大で

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 レスリングや柔道の全日本選手権などで、新聞社など各メディアの社名ではなく、個人の名前で記者席が用意されるベテランがいる。1964年東京五輪を取材し、いまなお現役で大会に足を運ぶスポーツジャーナリストの宮沢正幸さん(88)。2度目の東京五輪に向けて熱狂しがちなマスコミに「公正な視点でオリンピックを盛り上げてほしい」と願う。 (松山義明)

 <駆け出しは夕刊紙時代の東京新聞だった>

 大学でレスリング部員でした。大会を取材する記者が身に着けるペン形の記者章に憧れ、入社試験を受けました。配属は校閲でしたが、レスリングの話題を何回か書きました。運動部長だった原三郎さん(32年ロサンゼルス五輪ボート代表)からスポーツ紙が人手不足と聞きました。発刊準備を進めていた東京中日新聞(現在の東京中日スポーツ)が、各紙のベテラン記者を引き抜いていたからです。私も1年ほどで日刊スポーツへ移りました。いま考えたら、おかしな縁ですよね。

 <34歳で東京五輪を迎えた>

 敗戦復興の旗印。どうしたら読者に熱気を伝えられるか苦心しました。日本人のだれも経験したことがない出来事。オリンピックの歴史や選手の人物像などの連載を書きまくりましたね。思い出深いのは「スポーツ茶の間の科学」という企画。ドーピングやメンタルトレーニングといった、当時としては珍しい切り口でした。

 <格闘技を中心に臨場感あふれる記事を書いたが、後悔も残っている>

 64年大会で初採用された柔道で仕事を全うできませんでした。いまも全日本選手権が体重無差別で競うように、無差別級こそ頂点という認識が日本にはあります。ただオリンピック種目としては、あくまでも「体重制限がない」というクラス分け。ほかの軽、中、重量級と同列です。しかし国民は全階級で金メダルの期待を持ったまま大会に突入してしまった。

 <無差別級の決勝で神永昭夫がオランダのヘーシンクに左けさ固めで敗れた>

 私が任されたのは観客席での家族取材。神永のお兄さんや結婚したばかりのお嫁さんたちと一緒に見ていました。敗れた瞬間、会場の静けさたるや。審判の「一本」を宣告する声が無情に響きました。試合後の控室から漏れてきたのは男泣きと「俺が悪かった」という言葉。泣いていたのは神永。励ましていたのは曽根康治コーチだったのでしょう。実は仙台市にあった神永の実家と私の叔父の家が隣同士。家族ぐるみのつきあいがありました。あまりにも悔しくて、この日だけは記事が書けませんでした。

 <金メダルのチームメートでさえ「日本柔道が負けた」と表現した敗戦>

 柔道関係者の誰もがヘーシンクに勝つことは難しいと思っていたはず。私も同じ。大きな体と強い力だけでなく、レスリングで鍛えた技もあり、日本選手は世界選手権で勝てていなかった。当時の代表選考は密室。問題は重量級に誰を出すかだった。

 <結果的に、重量級には猪熊功が出場して優勝。神永が無差別級に出て敗れた>

 もし膝に故障を抱える神永を重量級に出して勝てなければ、無差別級と合わせて二つも金メダルを落とすことになる。その批判を恐れ、捨て鉢の選択だったのです。こういった事情を事前に伝えられていれば、国民を失望させず、神永の名誉をいたずらに傷つけることもなかった。

 <1年半後に迫る東京五輪でメディアに期待すること>

 年々、商業主義の色合いが濃くなっていると感じます。テレビ放映を念頭に置いたルール改正や、アマチュアの活躍の場を奪うプロの出場もおかしい。恥ずかしながら、私も現役のころ、問題を指摘しきれなかった。何より横並びの報道はいけない。例えば「五輪」の表記は全国紙による造語です。これではオリンピックの精神は表現できない。ここから始めてみてはどうでしょう。

1964年東京五輪のレスリング代表壮行会で拓大レスリング部後輩の中浦章(右から2人目)を激励する宮沢正幸さん(左)

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1964年10月23日、東京五輪の柔道無差別級決勝で神永昭夫を抑え込み、一本勝ちのヘーシンク。右手を上げ、畳に上がろうとするオランダ関係者を制す=日本武道館で

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◆新競技・空手に期待取材へ意欲

 2020年東京五輪で楽しみにしている競技として、宮沢さんは新しく追加された空手を挙げた。「今後もオリンピック種目として定着できるか。20年以降の取り組みが大切になってくる」という。

 重ねるのは1964年東京大会で初採用された柔道の歩みだ。68年メキシコ大会は実施されなかったが、競技関係者の努力が実って72年ミュンヘン大会で復活。出場者数も男子のみだった64年の27カ国74選手から、16年リオデジャネイロ大会は136カ国・地域の男女390選手まで拡大。重い階級が増えて日本選手が苦戦するようになったが、近年は盛り返してきた。「空手も勝つのは難しくなってきた。東京オリンピックをきっかけに、さらなる飛躍を遂げてほしい」と期待する。

 宮沢さんは、90歳で迎える2020年東京五輪での取材意欲も示す。「古巣に聞くと、取材パスの数は少ないそうです。なかなか難しそうですよ。なんとか試合はじかに見たいですね」と笑った。2度目の東京五輪でライフワークとする格闘技取材をできるか、注目される。

<みやざわ・まさゆき> 1930年2月15日生まれの88歳。神奈川県小田原市出身。拓大卒業後、東京新聞校閲部記者を経て、日刊スポーツ運動部記者としてレスリング、柔道、相撲、体操などを担当。五輪は1964年東京大会のほか、88年ソウル、92年バルセロナなど計5大会を取材。現在は拓大客員教授、同大創立百年史編纂(へんさん)室専門員。

 

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