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【知られざる世界ランカー】

日本の先駆者へ「前向き」 バック走・細川修平

所属する陸上競技部の練習で一人だけ後ろ向きで走る細川修平(手前)=いずれも埼玉県戸田市で

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 後ろ向きで走る「バック走」は、スポーツの練習の一コマでは見掛けるものの、競技としては国内ではまだ認知されていない。食品・酒類総合卸売業の国分(こくぶ)グループ本社(中央区)陸上競技部に所属する細川修平(25)は、昨年の世界大会に日本人でただ一人出場。「日本のバック走のパイオニアになる」と意気込む。

 バック走の世界大会は、IRR(インターナショナル・レトロ・ランニング)という組織が隔年で開いている。昨年7月の第7回イタリア大会は19カ国・96選手が出場。100メートルからフルマラソンまで12種目で男女、世代別で競った。

 細川は一般男子の100メートルと200メートルの短距離2種目に出場したが、6人で争う決勝レースには残れず、ともに7位。「ファイナリストになる自信があったが、世界は甘くなかった」と振り返る。

 仕事の関係で、現地入りしたのはレース前日。時差ぼけの中、トレーニング用のシューズで走り、100メートルが17秒65、200メートルは39秒66と不本意な結果に終わった。優勝タイムはそれぞれ14秒41、30秒33で、準備万全の他国選手からは「まず(陸上競技用の)スパイクを履きなさい」と厳しい助言を受けた。

 来年7月、フランスで開かれる第8回大会で雪辱を期す。「世界一のランナーを参考に、ストライドを長くするなどフォームを改良中。後ろへ走るエンジンとなる前ももを重点的に鍛えている」と細川。2種目の自己ベスト(それぞれ15秒84、34秒65)は、昨年の世界大会でともに5位相当だ。「次はしっかり準備して臨む。目標は金メダル」

スタートの連続合成写真(左から右へ)

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 後ろへ走る能力に秀でていることに気づいたのは、ラクロス部に入っていた法政大学2年の時。準備運動に、バック走からターンしてダッシュするメニューが取り入れられた。すると、ターンの合図の時には一人だけ20メートル先のゴールを走り抜けていた。

 「仲間と競走したけど、大学時代は一度も負けなかった」。競走相手の中には、高校時代にアメリカンフットボールのコーナーバック(CB)で日本代表候補になった後輩がいた。攻撃側のパスターゲットとなるワイドレシーバー(WR)をマークするため、正対して競り合うCBはバック走の高いスキルが求められるポジションだ。そこで鍛えられた強敵にも80メートル走で勝ち、「細川さんは後半の伸びが違う」と驚かせた。

 ラクロスと並行し、自己流でバック走の練習を続けた。「全国にはきっと、僕のようなバック走自慢がいるはず」と仲間を探したが、日本にはバック走の大会や組織がなかった。ただ、海外に目を向ければ健康スポーツとして注目され、2006年からは世界大会も行われていた。社会人2年目の昨年、迷うことなく挑戦した。

バック走もスタートが重要。構えを研究中だ

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 イタリア世界大会後の昨年8月、会社の陸上競技部から「後ろへ速く走るのだから、前も速く走れるはず」と勧誘された。400メートルと800メートルの中距離を中心に強化中だが、これもバック走の走力アップにつながるという。

 今、目指しているのは「日本バック走協会」のような組織づくりだ。愛好者を増やして大会を企画し、ゆくゆくは日本選手権を開催したいという。バック走が生かせる競技はアメフット以外にも、サッカーなど複数ある。「いろんなスポーツの選手を巻き込んで、それぞれの競技でのスキルアップに役立てば」。そんな青写真も描く。

 日本体育大出身で陸上競技部主将の柴田樹(たつき)(32)は「母校の競技関係者に声を掛け、細川をもり立てていきたい」と話す。バック走で細川に挑む部員も現れ、「国分グループのメンバーでリレーを組んで世界大会に出たい」の声も。足元から、仲間が集い始めた。 (敬称略)

部員らとバック走で競走する細川(右)

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<ほそかわ・しゅうへい> 小学校から高校までサッカーを続け、法政大学ではラクロス部で活躍。在学中の2014年からバック走を始め、18年世界大会で100メートル、200メートルともに7位。183センチ、73キロ。東京都世田谷区出身。25歳。

 国内でバック走を普及させたいという。問い合わせはメール=shuhei.h77@gmail.com=へ。

 文・牧田幸夫/写真・潟沼義樹

 

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