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【ドナルド・キーンの東京下町日記】

世界に誇れる文楽教えよう

なじみのクリーニング店を訪れたキーンさん。日常生活の中でも日本の伝統芸能の行方が気になる=東京都北区で(圷真一撮影)

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 「リーン、リーン」「コロコロ」と虫の音が響く、東京都北区の旧古河庭園。その近くの自室で静かに研究活動をしていますが、どうも騒がしさが気になるのです。伝統芸能「文楽」をめぐる大阪市の補助金削減の問題が。橋下徹市長と文楽側の話し合いで削減はなくなりましたが、これで問題解決とは思えないのです。

 文楽は日本が世界に誇る文化です。世界中に子ども向けの人形劇はありますが、その脚本の文学的価値はゼロ。でも、文楽は違う。脚本の芸術性は高く、人形遣いの美しさも世界が認めている。だから、世界無形遺産なのです。

 五十九年前、私が京都大学に留学した時に、楽しみだったことの一つが、近松門左衛門の『曽根崎心中』などの文楽でした。文楽は奥が深い。何度見ても、新たな発見があります。

 補助金削減騒動の一因は観客動員の低さと聞きましたが、それは文化的に廃れたからでしょうか…。そうではない。東京では人気があります。大阪でその面白さが、忘れられていただけなのです。原因は教育にあると思います。

 日本の教育は基本的には入試向けです。古典といえば文法。それではつまらない。近松作品が遊郭を舞台としていることも、教材にしにくい理由でしょう。でも、それが悪影響するでしょうか。もし、そうなら最近のテレビドラマなんかは子どもに見せられません。

 『曽根崎−』は今にも通じる愛や嫉妬などがテーマです。それに、文楽は上方芸能。大阪が本場です。私は、入試には、地域性が必要だと思っています。大阪と東京で同じではおかしい。大阪は対東京もあって、地元意識が強いはず。それなら、まずは文楽でしょう。入試に使うといいと思います。

 それだけの価値があるし、そうすれば、若い人の関心が高まり、観客も増える。大阪経済にもプラスです。

 今回の騒動を振り返って一番得をしたのは、注目を浴びた橋下さんでしょう。補助金騒動で「大阪の文楽の観客数は40%も増えた」と聞きましたが、それを見越して、削減を打ち出したのなら大したものです。

 でも、気になるのは、橋下さんが独断で削減を打ち出したことです。個人の嗜好(しこう)は認めます。でも、文楽を何度も見ずに、面白くないと決め付けたそうですが、それはどうなんでしょう。橋下さんは今、一番人気の政治家と聞いています。その理由は分かる気がします。ただ、それにちょっとした危うさも感じています。

文楽人形を遣う技芸員ら(国立文楽劇場で11月3日から公演の「仮名手本忠臣蔵」から)

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 今年三月に日本国籍を取得した日本文学研究の第一人者ドナルド・キーンさんは、ニューヨーク出身で今年九十歳。七十二年前に読んだ「源氏物語」をきっかけに日本文学に傾倒し、日本人以上に日本を知る知識人です。東京の下町に居を構え、研究活動を続けるキーンさんが毎月一回、愛する日本を語ります。

「東京下町日記」のタイトルカットの文字はキーンさんの自筆。カップや文鎮などは愛用の品々です。

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 ドナルド・キーン 1922年、米ニューヨーク生まれ。第2次世界大戦中に米海軍語学校で日本語を学ぶ。戦中は通訳士官として従軍、捕虜となった日本兵を尋問した。戦後、米コロンビア大、英ケンブリッジ大を経て53年、京都大に留学した。日本の古典、現代文学を幅広く研究。55年からコロンビア大で教える。一方で、三島由紀夫、川端康成、谷崎潤一郎、安部公房ら日本の作家と交際。2008年、文化勲章。12年、日本国籍取得。著書に「明治天皇」など。同大名誉教授。

 

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